歯科医師 × フレンチシェフによる、破壊的な「介護食」革命とは?
1970年の男性の平均寿命は69.3歳ですが、2020年には81.6歳で、人生100年時代というフレーズも耳にするようになりました。社会の劇的な変化に応じて、歯科も大きな変革期にあるのではないでしょうか。次々と明らかになる歯周病と全身の関連、デジタルデンティストリーの普及、歯科訪問診療での摂食嚥下リハビリテーションなどがその一例でしょう。今回の記事では特に、摂食嚥下リハビリテーション専門の歯科医師が「食」の領域でどのような価値を生み出せるかについて書きたいと思います。破壊的な「介護食」革命筆者は現在、総務省の「異能vation」プロジェクトの破壊的な挑戦部門の挑戦者として、フレンチシェフと3Dフードプリンターを用いた介護食改革に取り組んでいます(図1)。「異能vation」は、総務省が2014年から実施しているプロジェクトで、その目的は「ICT分野において破壊的な地球規模の価値創造を生み出すために、大いなる可能性がある奇想天外でアンビシャスな技術課題への挑戦を支援」することです。総務省が「奇想天外でアンビシャス」という言葉を使っていること自体がすでにアンビリーバボーではありますが、その挑戦者として選ばれたことは大変光栄です。介護食は「安全」が最優先だった挑戦課題名は「介護施設で堪能、フレンチフルコース-3Dフードプリンターで実現する食のダイバーシティ-」で、目的は「介護食改革による食のダイバーシティ社会の実現」です。筆者が考える超高齢社会における食のダイバーシティ社会は、年齢も性別も宗教も機能も超えて食事を味わい、楽しみ、驚く体験を可能にすることです。現状、介護食で最優先されているのは、美味しさでも楽しさでも驚きでもなく、安全です。例えば、認知症などの先行期障害の患者で食事が進まない場合、まずい、見た目が悪い、お腹が減っていないなどとても単純なことが原因の場合も少なくありません。先行期障害がなければ、ペースト食で多少見た目が悪かったとしても「栄養のため」「あまりスタッフに迷惑もかけられない」と忖度してくれます。一方で、先行期障害の患者は忖度しない場合もあるので、美味しくないものは食べないわけです。だからといって食事介助で無理やりに食べさせるというのは介護拒否にもつながり、本質的な課題解決ではありません。これらの例からも分かるように、介護食に不足しているのは「おもてなし」の精神ではないでしょうか。お、も、て、な、しです。さらに、介護現場では、咀嚼嚥下機能と食形態が合っていない場合が多いことも報告されています(参考文献1)。介護食には課題が山積しているからこそ、課題先進国である日本からその解決策を発信していくことが重要だと思います。フレンチシェフと介護食を作ったらどうなるのか?今回、筆者はフレンチシェフと協力して、介護施設の摂食嚥下障害患者に3Dフードプリンターを活用したフレンチフルコースを食べてもらうことを一つの目標にしています。もちろん、美味しくて、見た目もワクワクするようなフレンチフルコースを目指しています。なぜ、フレンチ?と思われる方もいらっしゃるでしょう。フレンチはもともと、ピュレ、ジュレ、ムースなど多様なテクスチャーを駆使した調理法があるので、さまざまな機能の対象者に合わせやすいという利点があります。さらに、フレンチはソースをよく使います。筆者らはソースが認知症高齢者の食事摂取量増加に効果があることを報告しており、なぜフレンチをよく食べれるかもエビデンスに基づいて説明可能です(参考文献2)。どことなく敷居が高いと思われがちなフレンチは、実は機能的多様性を受け入れ可能な懐の深い料理の一種だと言えるのです。3D「フード」プリンター3Dプリンターは多くの領域で普及しており、すでにお使いの方もいらっしゃるでしょう。しかし、3Dフードプリンターをご存知の方は多くはないのではないでしょうか。3Dフードプリンターは2016年ごろから一部実用化が始まっていますが、現状、普及していません。パティシエがスイーツのデコレーションに使ったり、一部の先進的なシェフが活用した事例があるくらいです。日本企業が機器を作っているにもかかわらず、用途開発が一向に進んでいない背景には、射出する素材の制限などスペックの問題もあるかもしれませんが、もっと大きな問題は「食」の領域では単一の職種だけではイノベーションが起こらないからではないでしょうか。現在、筆者は3Dフードプリンターのスープとデザートのプロトタイプの制作まで行なっています。食のダイバーシティ社会の実現へシェフだけでも、パティシエだけでも、研究者や医療者だけでも「食」領域でイノベーションを創り出すことは困難です。各々の専門職が有機的な連携をすることで、大きなイノベーションの芽が生まれるのではないでしょうか。しかし、これこそまさに「言うは易く行うは難し」です。摂食嚥下に関わる人間であれば、誰でも一度は介護食の課題を考えたことがあると思いますが、筆者も解決困難な課題が実に多いと実感しております。そのため、失敗をおそれずに挑戦する人を支援する「異能vation」プログラムの懐の広さは大変ありがたい限りです。しかし、フレンチシェフと連携した、3Dフードプリンターによるフレンチフルコースが食のダイバーシティ社会実現に直結するわけではありません。1分1秒に追われる介護の現場で、悠長に料理をしている時間もないでしょう。必要は発明の母です。現場のニーズに合っていないと技術は普及しません。3Dフードプリンターはデータを蓄積していくことができます。今回のもう一つの目的は、フレンチフルコースを作る中で3Dフードプリンターで現場負担を軽減させるような使用法を抽出し、オープンソースで共有することにあります。これはInformation and communication technology 、すなわちICTを使った取り組みになると思います。今回、作られるフレンチフルコースは、摂食機能療法専門歯科医師によるエビデンスの裏付けがなされたコンセプトに基づき、シェフのセンスや経験、日本企業の技術力が融合したものになるはずです。その中には、現場応用可能なヒントが数多く含まれているので、それを共有知として幅広く普及させていくことが食のダイバーシティ社会実現の一歩となるのではと考えています。参考文献服部史子、戸原玄、中根綾子ほか:在宅および施設入居摂食·嚥下障害者の栄養摂取方法と嚥下機能の乖離.日本摂食嚥下リハ会誌 2008;12:101-108.Kimura A, Yamaguchi K, Tohara H, Sato Y, Sawada N, Nakagawa Y, Matsuda Y, Inoue M, Tamaki K. Addition Of Sauce Enhances Finger-Snack Intake Among Japanese Elderly People With Dementia. Clin Interv Aging. 2019 Nov 14;14:2031-2040. doi: 10.2147/CIA.S225815. PMID: 31814715; PMCID: PMC6863177.