野口英世と東京歯科大学の意外な関係

野口英世と東京歯科大学の意外な関係

文・構成:ミホ | 投稿日: 2019年11月19日
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明治時代、歯科医師を育てるための「歯科私塾」が日本各地に開設されていた。

歯科医師を目指すには英語の素養が必要とされていた当時、各地の歯科私塾には優秀な人材が多く集まっていた。

実はその中には、のちに黄熱病などの研究で世界に名を轟かせる、野口英世の姿もあったのである。

歯科にも関わっていた野口英世

野口は20歳で医学開業試験に合格するという実力者であったが、勉学のために上京した際資金を使い果たし途方に暮れていたという。

そんな彼を助けたのが高山歯科医学院(東京歯科大学の前身)で講師をしていた血脇守之助である。

血脇は福島県へ出張診療に出かけた際に野口と出会う。ドイツ語で書かれた本を読み漁る彼の才能に感動し、高山歯科医学院のスタッフにならないかと誘った。

野口は幼少期に左手に大やけどを負っていたが、血脇は彼に収入面のサポートはもちろんのこと、当時臨床試験において必須であった打診ができるよう、左手の再手術もサポートするなど多大な支援を行なった。

歯科界から細菌学界の有名人へ

これらのサポートにより野口は、高山歯科医学院の講師として働き安定した収入を得ることができた。また同時に伝染病研究所にも籍を置き、やがて血脇の援助のもと渡米。細菌学の研究で頭角を現していく。

野口の渡米後もふたりの交流は続いた。1922年(大正11年)、血脇が歯科医師会会長として渡米した際には、ロックフェラー研究所で名声を得ていた野口が付きっきりでガイドを務めたという。また当時の大統領への表敬訪問まで実現させたのである。

福島県の小さな農家に生まれ、経済的に恵まれなかった野口英世。

職場の蔵書を売り払って女遊びをしたり、婚約者を騙して自分の旅費に使ったりなど破天荒なエピソードも語り継がれている野口だが、血脇守之助や高山歯科医学院に出会わなければ、世界に名を残すことはできなかったかもしれない。

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