前回は「学習資本を身につける必要性」についてお話させていただきました。今回からいよいよ具体的なお話に移っていきます。
本屋さんでよく見かける文章術の本で、読者に読まれる文章を書くためには「行動を指示する内容」=「行動指針」を盛り込むことが重要と解説されています。
それは読者が行動を指示されることで「あ、こうやればいいんだ」という行動の指針を得ることにより、満足感を覚えるからです。そして、「この本はいい本だ」となるわけです。
そのため読まれるための文章は「行動指針」をしっかり書き込むことが大切なのですが、今回は「行動指針」ではなく「精神論」的なお話になります。わざわざ「行動指針」ではなく「精神論」的なお話をすることには理由があります。
その理由とは、今回触れている内容をお伝えし知ってもらうことで、学びのブーストがかかるからです。しかも今回の内容は、いわゆる勉強本で見かけたことがありません(ぼくの勉強不足なだけかもしれませんが……)。
これまで様々な勉強本を読んできましたが、どの勉強本も「行動指針」を提示するものが多く今回の内容が書かれているものは未読です。
なぜ見かけたことがないかというと兵法の極意の話だからです。しかも、能楽で取り扱われている兵法極意の伝授にまつわるエピソードです。どうして学習資本を身につけたいのに、兵法(戦いの仕方)の極意の話になるのか…。そりゃ勉強本で取り扱われるはずがありませんよね。
けれど兵法の極意と学習の根幹はつながっています。……安心してください。これはぼくの持論ではないですから。太公望(たいこうぼう)っていう昔中国にいた天才軍師がそう言っています。
そして、この兵法の極意の話を知っていると知らないでは、今後お話ししていく学習資本の活かし方に雲泥の差が生じると考えています。ではさっそくエピソード紹介をさせていただきます。
このお話は張良(ちょうりょう)が黄石公(こうせきこう)に太公望の兵法極意を伝授してもらう話なのですが、その極意の取得の仕方が深いです。というか学びのメカニズムの真髄じゃないかな、と個人的には思っています。
太公望(たいこうぼう)が書いた兵法の極意を教えてもらうために、黄石公(こうせきこう)に師事した張良(ちょうりょう)。
けれど、黄石公は何も教えません。早く兵法の極意を教わりたい張良は、一体いつになれば教えてもらえるのか、とやきもきした気持ちで日々を過ごしています。
ある日、張良は黄石公に路上で出会います。普段何も教えてくれない黄石公ですけど、それでも師匠なので張良は路上で黄石公を待ちます。
すれ違いざまに馬にまたがった黄石公が左足に履いていた沓(くつ)を落とします。「張良よ、その沓(くつ)をとって履かせよ」と言われ、張良はしぶしぶと老人に履かせます。
また別の日に路上で二人は出会います。すると今度は両足の沓(くつ)をぱらぱらと落とします。そして「取って履かせよ」と言われて、張良はムッとしながら、沓(くつ)を履かせます。その瞬間、張良は、心解けて兵法の極意を会得した、というお話です。
どうでしょう? え?なんで沓(くつ)を師匠に履かせたら極意を会得するの?意味不明ですよね。初めてこの話を知ったとき、内容が高度すぎて意味がわからなかった…(笑)。太公望の兵法の極意って具体的になんのことだったの?と混乱しました。
しかし内田樹先生の解説を読んでから、その意味の深さを理解することができました。…というわけで内田先生の言葉を引用します(長いですけど、今回一番お伝えしたいことなのでお付き合いください)。
『教訓を一言で言えば、師が弟子に教えるのは「コンテンツ」ではなくて「マナー」だということです。張良は黄石公に二度会います。黄石公は一度目は左の沓を落とし、二度目は両方の沓を落とす。そのとき、張良はこれを「メッセージ」だと考えました。
一度だけならただの偶然かもしれない。でも二度続いた以上、「これは私に何かを伝えるためのメッセージだ」とふつうは考える。
そして張良と黄石公の間には「太公望の兵法の伝授」以外の関係はないわけですから、このメッセージは兵法極意にかかわるもの以外にありえない。張良はそう推論します。
沓を落とすことによって黄石公は私に何を伝えようとしているのか。張良はこう問いを立てました。その瞬間に太公望の兵法極意は会得された。
瞬間的に会得できたということは、「兵法極意」とは修行を重ねてこつこつと習得する類の実態的な技術や知見ではないということです。
兵法極意とは「あなたはそうすることによって私に何を伝えようとしているのか」と師に向かって問うことそれ自体であった。論理的にはそうなります。
(内田樹,『日本辺境論』,(新潮新書,2009),143-144)
兵法極意が学びの構えだったとは。兵法極意って、「日々の苦しい鍛錬を積んで、ある日を境に超能力が使えるようになる」みたいな少年マンガ的なものを想像していました。それが瞬間的に会得されるもので、しかも学びの構えって……。
しかし当時解説を読んだときは、なんだか肩透かしを食らったような、そんな気持ちになったことを記憶しています。けれど、歯科医師になり、たくさんの方と接するようになり、その中で突出して優秀な方に会う機会に恵まれ、その時、毎回、ふとこの話が思い出されました。(特に強く納得したのは、全国模試一桁台の学生とコミュニケーションをとっているときでした。)
そうなんです。突出して優秀な人って、この兵法極意が標準装備されているんですね。つまり「これは私に何かを伝えるためのメッセージだ」というマインドが常にOnしている。だから、息をするように学びが積み重なっていきます。
極端な例ですけど、コンビニでコーヒーを買ったとき、店員さんの表情やお金の受け渡しかたから何かを感じ取り、仕事上のトラブル解決法を思いつく、みたいな感じです。まだ分かりにくいと思いますので、勉強の話に置き換えてみます。
学生によく話すことですけど、自習と講義の使い分けってあるんですね。自習は点を増やすことにフォーカスする(点とは知識のことです)。そして講義で点と点を線につなげていく(知識を体系立てる、説明できるようになる)。
この逆は効率が悪くてあんまりオススメしていないです。だって自習で点と点を線につなげていく作業をしようとすると、ものすごく時間がかかってしまいます。
なぜなら点と点を線につなげる作業というのは、ひらめきに近いものがあって、教科書や参考書をじっくり読んだからといって得られるようなものではないからです。

点と点がつながり線になったという実感は、「あ、こういうことなのか!」という感動と共に訪れます。
講義は基本的に専門家がやるものなので、いつもの自分の視点とは違った角度から内容が解説されます。つまり新鮮な情報が脳に与えられる。だからひらめきが生まれやすい。
講義がわかりやすいと評判の講師は、独自の視点を持っていることが多いです。学生が思いつきもしないような例え話や、一見全く関係のなさそうな内容同士を掛け合わせて難解な内容を立体的に解説したりします。
教科書や参考書では説明されていない角度からの解説を加えることができれば、聴いている学生には「あ、こういうことなのか!」という感動を与えることができます。点と点をつなぐ体験を提供するという感じでしょうか。
話を戻しますが、優秀な学生というのは兵法極意の学びの構えが備わっていることが多い。つまり「これは私に何かを伝えるためのメッセージだ」というマインドが常にOnしている。
なので、習中や講義中はもちろん、通学で電車に乗っているとき、友達と遊んでいるとき、……どんなシチュエーションであれ「これは私に何かを伝えるためのメッセージだ」という物事の受け取り方をしています。これは学びの構えが出来ている、つまり太公望の兵法の極意を会得しているとも言えるでしょう。
こういう人は、何事に、受け身ではなくて能動的です。だからいろんな視点から物事を見る機会に恵まれやすい。結果的に点と点が線になりやすい。相乗効果で、線がさらに点を呼ぶ。そしてさらに線が追加されていく……。
どんなに分かりにくい講義を聞いても「あなたはそうすることによって私に何を伝えようとしているのか」→「この講師はわかりにくい解説をすることによって私に何を伝えようとしているのか」と変換されます。普通だったら「このセンセーの講義って分かりにくいわー。あー眠い」ってなりますけど(笑)。
けれど学びの構えが備わっている学生は、自分自身に問いかけながら講義を聴いているので(たぶん無意識です)、無理やりにでも自分の持っている知識を繋げ合わせてひらめきを得ている。学びの構えがある学生って、1を聞いて10を知るを、ほとんど意識せずに実践しています。
こうなってくると兵法極意である学びの構えが備わっている学生とそうでない学生との間には指数関数的に学力の差が発生して行きます。
ちなみに学力の差はクセものです。0→60点を取るための勉強量と60→80点を取るための勉強量を比べると、圧倒的に60→80の方が大変です。60点の学生と80点の学生の間には、学力を無理やりに数値化したときに、きっと指数関数的な差があるはずです。
どうでしょうか?優秀な学生が、どんな心構えで講義を聴いているのか、お分かりいただけたでしょうか?
太公望の兵法極意=学びの構えと学習資本は一致しています。学びの構えを会得すること(意識するだけでもいいと思います)によって、学びの効率は確実に向上します。今回は内容の関係上、「行動指針」ではありませんでした。
しかし学びの構えが備わっていなければ、どのような「行動指針」をご紹介したところでそれが成果に結びつくとは思えず、あえて1回目でこのような精神論をお話ししました。次回からは具体的な学習資本を身につけるための「行動指針」をご紹介して行こうと思います。