米・イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の古人類学者であるシャッケルフォード氏のチームは、ラオスとベトナムの国境沿いに約1100キロ続くアンナン山脈で13万年以上前のものとみられる大臼歯の一部を発見した。
シャッケルフォード氏らは学術誌・Nature Communicationsに論文を発表し、この大臼歯は「デニソワ人」と呼ばれる古人類の少女のものだった可能性が高いと報告した。
この報告が正しいと証明されれば、今まで謎に包まれたデニソワ人の化石としてこれまで発掘されたものの中で最南端に位置することになる。
そしてこの発見により、現在の東南アジアの人々にどのようにしてデニソワ人の遺伝子が伝わったのかという謎が解き明かされようとしている点が興味深いポイントだ。
約40万年前、デニソワ人はネアンデルタール人から分岐し、その後ネアンデルタール人はヨーロッパに散らばり、デニソワ人は東アジアに移動した。
ネアンデルタール人の遺物はいくつも発見されているが、デニソワ人の化石はほとんど発見されていない。これまでにデニソワ人のものと確認された骨や歯はわずかしかなく、いずれもシベリアとチベットの2カ所でのみ発掘されたものだった。
今回発見されたデニソワ人のものと思われる歯は、この地域でさらに多くの発見があることを期待させる出来事であり、研究に参加したラオス情報文化観光省の考古学者ソウリファン・ボウアラファン氏は「私たちはとても誇りに思っています」と語っている。
このような悪条件にもかかわらず、最近ラオスでは発見が相次いでおり、東南アジア最古の現生人類をはじめ、数万年にわたる人類の活動を示す証拠がこの地で記録されている。
研究者たちがラオスに関心を向けるようになったのは、現地の有力な考古学者トンサ・サヤボンカムディー氏の功績でもある。サヤボンカムディー氏は1930年代に研究され、その後放棄されていた遺跡の場所を苦心して突き止めた。今回少女の大臼歯が発見されたコブラ洞窟がある地域もその一つである。
2018年12月3日、地質学者で洞窟探検家のエリック・スゾーニ氏がシャッケルフォード氏の初訪問に先立って洞窟を視察し、チームに見せるため、岩や骨のかけらを集めた。スゾーニ氏は昼食前に洞窟から下りてきて、発見した大量の化石をチームメンバーに配り、シャツのポケットから珍しい大臼歯を取り出した。
ラオスで発見された大臼歯は、デニソワ人についての理解を深めるのに大いに役立つだろう。その形状や内部構造、化学的性質、摩耗パターンに、個人の年齢、食生活、さらには居住地域の気候を知る手掛かりが隠されているためだ。
また、歯の形態は人類あるいは絶滅した類人猿の種を特定しやすくなる。コブラ洞窟で発見された大臼歯咬合面の裂溝は現代人のそれよりもはるかに多く、ネアンデルタール人の歯によく見られる隆起がある。
ラオスで発見された歯には歯根や咬合面の摩耗がないことから、永久歯が生えそろう前に死んだ子どものもので、死亡時の年齢は3歳半〜8歳半だったと推測されている。また、近くにある動物たちの遺物の年代などを根拠に、この大臼歯は13万1,000〜16万4,000年前のものである推定された。
研究チームは化石をエックス線でスキャンして形状を調べた後、歯のエナメル質を採取し、保存されているタンパク質を探した。繊細なDNA鎖と異なり、タンパク質はラオスの高温多湿な気候を生き抜く可能性が高い。そして、タンパク質を構成するアミノ酸が、その遺伝暗号を読み解く手がかりとなり、科学者たちが標本の身元を特定する助けになる。
分析の結果、この歯はオランウータンなどの類人猿ではなく、ヒト属のものであることが判明した。また、タンパク質は女性の歯であることを示唆していた。
そして、コブラ洞窟の歯がデニソワ人と結び付けられた最大の根拠は、発見場所と下顎の形態だ。ネアンデルタール人の大臼歯ともいくらか似ているが、ネアンデルタール人がラオスほど東で発見された例はない。また、これまでの遺伝子データは、デニソワ人がおそらく東南アジアに暮らしていたことを表しているのではないだろうか。
少なくとも現時点では、デニソワ人の化石は非常に少ないため、この謎に満ちた人類を解剖学的に把握することは根気のいる課題となっている。今回発見された歯が下顎大臼歯であるという事実は、立証をさらに難しくしている。デニソワ人とはっきり確認されている下顎大臼歯は、夏河の下顎しか存在しないためだ。
アジア各地で次々と発見されているヒト属の化石は、その多くが「旧人類」という曖昧なグループにひとまとめにされている。近年、これらの一部がデニソワ人、あるいは、少なくとも近縁種である可能性が研究によって指摘されている。