
新型コロナウイルス感染症の拡大が未だに続いている。この感染症とカリオロジー、いったい何が関係あるのだと思われるかもしれないが、これらに対する我々歯科医療従事者の対応や一般の方々の反応には共通する問題点がいくつも存在する。
この記事は新型コロナウイルスに便乗してカリオロジーを周知しようというものではない。カリオロジーの考え方が私達に歯科医療従事者に根づいておらず一般にも浸透していないことが、この感染症への対応の不的確さの一因となっていると感じているので、まずその共通の問題点を共有したいと思うものである。また、新型コロナウイルス感染症に対する知識の整理としてもお役立ていただければと思う。
人々は新型コロナウイルス感染症の拡大を防ぐために「マスク」をしている。自分が誰かにうつすのを防ぐためには多少なり効果があるかもしれないが、誰かから自分がうつされないようにするためにはほぼ効果は期待できないことはある程度周知されているだろう。「自分がかからない」ためにすべきことはマスクではなく、「距離をとる」ことであるのはすでに明らかである。
しかし実際には、マスクをしながら密接な距離で接する方々がとても多いように感じる。密接な距離だからこそせめてマスクをしよう、というのは気持ちとしてはわかるし正しいことではあるが、マスクをしていれば密接な距離で接してもよいというのは明らかな間違いである。
これはカリオロジーでいうと、う蝕の原因となる菌の感染を防ぐために、赤ちゃんに大人がキスをしない、食具を分けるといった行動と似ている。
実はこれらの行動はう蝕の減少にはあまり寄与しないことが分かってきている(※1)。
私が以前1Dに寄稿した記事(※2)にも書いた「生態学的プラーク仮説」からいえば、赤ちゃん本人に砂糖を含む甘い飲食物の摂取を控えることなどの食習慣の形成や、よく触れ合う大人の口腔衛生管理のほうが重要であるように思われるが、人々が熱心に行うのはキスをしない、食具を分けるといった行動のほうではないだろうか。
これは、人々が元々病気を「うつす、うつされる」というとらえ方をしがちであるゆえと思われる。感覚的にはマスクをしていればうつしにくくうつされにくいと思うのであろうし、キスをせず食具を分ければうつらないと感じるのだろう。しかし実際にはそうではない。ここにあるもうひとつ重要な因子は、相手となるのが特定少数なのか、不特定多数なのか、ということである。
特定少数である場合、たしかにできうる対策はとるべきという考えも間違いではないが、基本的には完全に感染を防ぐことは困難である。とるべき対策は、新型コロナウイルスの場合はその特定少数が不特定多数と触れ合わないようにすることであり、う蝕の場合はう蝕原因菌を増やさない食行動の習慣化である。
感染症拡大を防ぐための行動として有効なことはもうひとつ「手洗い」である。この感染症は飛沫感染もあるが、接触感染による拡大が大きいと思われる。そのため人々がとる行動が「設備や備品の消毒」である。不特定多数が触れるものは、どれだけ頻繁に清掃、消毒をしても、すぐ誰かが触れてしまう。より効率がよいのは、それぞれが「手洗い」を頻度高く徹底することだ。
これはう蝕でいえば「ブラッシング」だろう。徹底的にプラークを除去すればう蝕にはならない。しかし人々の興味は「どうすればプラークが取り除けるか」よりも、「どんな消毒薬を使えば菌を殺せるか」である。
日本国内で応用されているうがい薬に含まれる消毒薬はブラッシングをしてはがれた菌にしか基本的にあまり効果はない。地道で当たり前な「手洗い」同様に「ブラッシング」が大切なわけである。余談だが、次亜塩素酸水やイソジンに関する騒動は、まさに歯科でのそれらの扱いの焼き直しのようである。
新型コロナウイルス感染症に関するもうひとつの混乱は「PCR検査」である。検査には必ず感度、特異度という検査特性がある。新型コロナウイルスにおけるPCR検査はどうやら感度は低く、特異度は高めなようである。つまり偽陽性は少ないが偽陰性が多い。簡単に言えば見逃しが多い検査であるので、スクリーニングには向かず、全数検査など愚の骨頂である。
このことをカリオロジーでいうなら、「唾液検査」がそうだろう。モチベーションツールとして用いられる簡易培養検査は、感度も特異度も低い。少なくともスクリーニングには用いるべきではないし、結果をもとに診断を左右すべきではない。しかしPCR検査も唾液検査も、その結果をもとに人々も医療従事者も判断を変えてしまいがちである。
PCR検査で陰性であれば、隔離はおろか健康観察もおろそかにされがちであり、実際にこの感染症の拡大初期の段階では、それがゆえに感染が拡大したケースが多くみられた。唾液検査で陰性つまりう蝕原因菌が少なく出た場合も同様に、患者にはリスクが低いといった誤った認識を与え、医療従事者もそれに即した行動をとる可能性が高まる。
検査は検査特性を理解して必要最小限に行い、診断はそれぞれの医師が下すものである。そこに無駄な医療資源を投じるべきではない。診断能力のない新型コロナウイルス関連の検査を歯科で行うところもあるようだが、不慣れな者が扱えば感染症を拡げかねず、現段階で扱うべきでないのは言うまでもない。
最後に、ワクチンや特効薬への過度な期待が共通している。残念ながら、新型コロナウイルスにおける効果的なワクチンの普及と特効薬の開発は迅速に進む可能性は低い。
新型コロナウイルス感染症は、それこそ検査陽性者は増加しているが、重症者や死亡者は我が国においては諸外国に比べ多くはない。その理由は明らかにはなっていないが、仮に感染しても重症化や死亡の可能性が高くなければ、ワクチンの反作用の懸念が大きくとらえられるだろう。これは必要かつ正しいのであるが、仮に数は確保されたとしても応用に関しては慎重に判断されるであろうし、そうされるべきである。
特効薬についても同様の理由であるが、多くの人々にとってはこれらの薬剤に頼るのではなく、引き続き感染拡大に対する行動を求められるだろうし、新型コロナウイルス感染症が収束したとしても、このできごとは我々の記憶に強く残り、別の感染症が発生した際にも同様の対応が求められ、またそのような行動をとるようになるだろう。
う蝕においても残念ながら、ワクチンは特効薬は今後も開発される可能性は低いだろう。う蝕は単一の病原菌による疾患ではなく、多くの菌が相互に作用して関わる疾患であるため、ワクチンの応用は現実的ではない。また、常在細菌による疾患であるため特効薬による治療も困難だろう。基本となる、食習慣、ブラッシング、フッ化物の3つで防いでいくことが今後も求められると思われる。
常にマスクをすることが徐々に習慣となり、文化となりつつあることは皆さんも感じていることだろう。 同時に、この先の見えない戦いに疲弊し、「新型コロナウイルスなんて存在しない」、「ただの風邪だ」と、不適切な行動をとる人たちが出てくるのも当然のことである。このようなときに必要なのは、科学的に分かってきている「必要なこと」を徹底し、無駄に疲弊しないように「不要なこと」をしない、ということである。
不要な外出や県をまたぐような長距離の移動を控え、不特定多数と接する場所へ行かないことは「必要なこと」である。屋外の人と人との距離を保てる場所ではマスクは「不要なこと」であり、屋内でも距離が保てて会話をしないのであれば基本的に不要である。手洗いは必要であり、頻回な消毒は非効率的である。PCR検査は本当に必要なときだけ行うべきものである。
これらを自然に行うことが難しく、ともすれば反対の行動、つまりは不特定多数の場所でマスクをしながら密接しPCR検査の拡大を求めてしまうことは、食習慣やブラッシングよりも、キスを控えて食具を分けたり、唾液検査や各種検査を行ったほうがなんとなくみてもらった感があり安心するなどといったパフォーマンスを重視してしまう性質と共通していると感じないだろうか。
人々が陥りがちな性質に我々医療従事者が迎合してしまうと、本質を見失うのである。検査は必要なときに必要なものだけするもの。この文化だけでも根づいていれば人々の行動は全く違っていただろうし、不要なことはせず必要なことを徹底する文化があれば結果は全く違っていただろう。
我々医療従事者が、人々に本当に「必要なこと」を伝え、「不要なこと」をしないこと。それらを判断するための学びを続けて、発信し、支援すること。これは新型コロナウイルス感染症だけでも、う蝕だけでもなく、平時から常に必要な姿勢なのである。
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Association between caregiver behaviours to prevent vertical transmission and dental caries in their 3-year-old children, S Wakaguri 1, J Aida, K Osaka, M Morita, Y Ando, Caries Res. 2011;45(3):281-6. doi: 10.1159/000327211. Epub 2011 May 12.
『カリオロジーで、社会は変わる』Sho Yamada, 1D歯科ニュース, 2020年8月14日閲覧.