ーー歯科医師になったきっかけを教えてください。
母子家庭で育ったため、経済的な安定を求めて国家資格が取得できる学部を目指していました。東日本大震災で、同級生の父親が歯科医師として被災地のボランティアに尽力している姿に感銘を受けたことが、直接的なきっかけです。
医療の仕事が、患者さんの人生に密に寄り添い、やり甲斐を感じやすい魅力的な仕事だと思いました。また、中学生の時に木工の技術を競うコンテストで全国優勝したこともあり、自分の手先の器用さを活かした仕事をしたかったということもあります。
ーー歯学部に入った後はいかがでしたか。
「大学生になったら変わった経験がしたい」と思い入部したのが北海道大学の冒険歯科部です。今思えば、この部活に出会えたことが、最大のターニングポイントだと思います。
冒険歯科部は、海外で主に歯科医療支援を行なっている先生と企画するスタディーツアーに参加する団体です。そこに所属し人生で初めての海外旅行となるスリランカスタディーツアーに参加するわけです。
JICAや現地の保健省の方と協力し、郊外の学校に赴き、歯科健診や歯磨き指導を行います。また高いフッ素濃度の井戸水を飲んでいる為にフッ素症に罹患する児童も多く、それに対しての適正な濃度まで除去を行う器械の設置なども見る機会がありました。
国境なき医師団のような規模や知名度はありませんが、歯科医療が国際貢献として確実に必要とされていることが実感できました。異国の地で、言葉や宗教、文化、人種などを越えて、歯科医療を通じて幸せと豊かさの共有できる。そして多様性が共鳴し合う時、その価値は連鎖して繋がっていく。
まだ歯科の知識の全く無い自分でも、国際貢献のその素晴らしさと、一方向ではなく双方向に利益があるものだと実感できました。
ーーそれはとても大きな原体験ですね。はい。その頃から、歯科保健医療国際協力協議会(JAICOH)に誘われます。歯科保健に関する国際協力分野で活動する団体や個人の情報交換を目的とした学会です。
色んな先生が世界で活躍する姿を勉強させていただき、自分の考えに対して意見を頂きました。また、他大学の学生が自主的に歯科保健を考えていて、とても刺激になりました。
特に印象に残っているのが、
バングラデシュのスタディーツアーです。バングラデシュでは、現地の歯科医師とワークショップを行い活動計画をブラッシュアップした後、郊外の学校へデンタルキャンプに向かいます。
活動自体は歯科健診、歯磨き指導、生活調査などです。停電も多いことから、よく歯が見える外で歯科健診を行います。英語が通じるのは、教育をしっかり受けることのできた中学生くらいになってからですから、歯を開けて、閉じて、笑ってなどの簡単なベンガル語を覚えて行いました。
また噛みタバコの常習による口腔がんの罹患率も高いこと、歯医者(国家資格保有者)がいない地域では伝統的な歯科医師(歯抜き屋)が治療していることなども衝撃でした。そういった一連の医療格差は、歯科保健行政が機能していないことが多くの原因であることも後に知りました。
6年生の時には世界歯科学生連盟(IADS)の台湾大会に参加する機会に恵まれ、約70ヶ国の歯科学生と交流することができました。他国の学生の自主性や、向上心、勉強に対する姿勢は素晴らしく、何より自分の視野の狭さを痛感しましました。常識に固執せず、多角的な判断軸を持って考える能力を得たいとも思いました。
ーー研修医の頃の体験などを教えてください。
研修医の頃は休みを利用し、フィリピンの海外駐在員向けに歯科健康相談会を行いました。国際医療協力として現地の国の人々に対する支援の形を大学6年間を通してイメージしてきましたが、海外で働く邦人の医療不安、医療格差について学ぶ機会となりました。
フィリピンには、十分な環境と技術が備わった歯科医院は多くありますが、外国語で説明される不安を持つ人や、小さい子供の成長に合わせた悩みを持つ親などが多く相談に来てくれました。
患者の持つ疾患だけではなく、その背景や人生、環境などを含めた場合に、自分が真にその人の為になる為には、圧倒的な臨床経験が自分には足りないと痛感しました。