
歯科用止血剤「スポンゼル」が販売中止になった理由とは?代わりとなる代替品は?
抜歯後の止血処置で頼りにしてきたスポンゼル(吸収性ゼラチンスポンジ)が入手困難になっている。ある日、卸業者から「スポンゼルが販売中止になる」と告げられ、開業医は戸惑った。難しい抜歯や抗凝固薬服用患者の止血に重宝していただけに、突然の供給停止は臨床現場に不安をもたらす。この状況下で明日からどのように止血対策を講じるべきか。本記事ではスポンゼル販売中止の背景を解説し、代わりとなる止血材の選択肢と、その臨床面・経営面への影響を検討する。読者自身の経験に照らし、診療の質と医院経営の双方を損なわない最適解を見出す一助となることを目指す。
要点の早見表
視点 | 要点まとめ |
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臨床での役割 | スポンゼルは吸収性局所止血剤であり、抜歯窩や小手術部位の止血に用いられてきた。血餅形成を助けて創部を塞ぎ、出血コントロールに寄与するが、骨や軟組織の再生促進効果はない。代替品として推奨されるサージセル(酸化再生セルロース製剤)も同様に、局所で血液を吸収して凝固を助ける止血材である。 |
適応と使用上の注意 | 抜歯創、歯周手術創などの表在性出血に適応する。動脈性の大出血や感染創には単独使用は適さない。スポンゼルは動物由来(ウシコラーゲン由来のゼラチン)であり、極めて稀だがアレルギーリスクが指摘される。一方サージセルは植物由来(セルロース)でアレルギーはほぼない。いずれも生体吸収されるが、組織内に詰めすぎると膨張圧で疼痛や治癒遅延を招く可能性があるため注意が必要である。 |
運用方法 | 使用時は必要最小限のサイズにカットし、乾燥状態または生理食塩水で湿らせて創部に填入する。確実な止血にはガーゼ圧迫や8の字縫合などで固定し、数分圧迫することが推奨される。創部を完全閉鎖せず一部開放しておけば、膨張による圧迫を逃しやすい。スポンゼルは唾液を吸うと原体積の数倍以上に膨らみゼリー状になるため、飛び出した部分は切除するか縫合で覆うことが望ましい。サージセルなど代替品も基本的な使用手順は同じであるが、水分を含むと繊維状に変化し易いため、操作は迅速に行う必要がある。 |
安全管理 | スポンゼルも代替品も生体内で概ね2〜4週間で吸収され、取り出す必要はない。患者には創部に止血材を入れている旨を説明し、違和感があっても触らないよう指導する。まれに術後にスポンゼルの残片が創から排出されることがあるが、自然な経過であり驚く必要はない。術後出血が続く場合は追加圧迫や再縫合が必要となり、止血材だけに頼らず臨機応変な対応が求められる。重大な副作用報告はないものの、感染リスクを抑えるため使用前に創洗浄を十分行い、感染部位では状況に応じて撤去も検討する。 |
供給と販売中止の理由 | スポンゼルは2021年頃から出荷調整となり、需要に全量供給できない状況が続いていた【参考1】【参考2】。原因として、他社製類似品(ゼルフォーム等)の供給停止でスポンゼル需要が急増したことや、原料調達・製造能力の制約により安定供給が困難になったことが挙げられる【参考2】。2024年にメーカーより販売中止が正式発表され、在庫限りで終売となる見通しである【参考1】。今後は同種の吸収性止血剤の国内製造がなくなるため、代替品への切替が避けられない。 |
代替品の選択肢 | 第一選択: メーカー推奨はサージセル・アブソーバブル・ヘモスタットMDである【参考1】。酸化セルロース製の吸収性止血ガーゼで、止血効果はスポンゼルと同等と考えられる。他の選択肢: コラーゲン製スポンジ(テルプラグ等)は組織再生を促進し創治癒を早める報告があり、インプラント予定症例などで有用だが保険適用外の自費材料である。止血効果もある程度期待できるが、価格(1個あたり数千円)を患者負担とするか医院コストとするか判断が必要になる。また、キトサン(甲殻類由来多糖)を用いた止血材ヘムコンも市販されている。ヘムコンは粘膜保護と止血に優れるが、生体吸収性がなく一時的使用後に除去する製品であり、主に自由診療領域での位置付けである。 |
費用と保険算定 | スポンゼルは医科歯科で保険償還価格が設定された医薬品で、例えば2.5×5cmの小サイズ1枚あたり約5,700円(税込み約6,270円)に相当する【参考1】。通常、施術時に使用した薬剤としてこの費用を診療報酬に算定できる。サージセルMDも「吸収性局所止血材」として保険収載されており、同様の価格帯で償還される(綿状シートタイプ0.45gで約5,700円)【参考1】。つまり保険上はスポンゼルから切り替えても追加の患者負担なく使用可能である。一方、コラーゲンスポンジやヘムコンは保険収載がなく、使用する場合は患者に数千円の実費負担を求めるか、医院側でコストを負担する必要がある。 |
時間効率への影響 | 適切な止血材の使用は処置後の圧迫止血に要する時間を短縮し、確実な止血により処置後の経過観察時間も減らせる可能性がある。特に抗凝固療法中の患者では、止血材を併用することで長時間のガーゼ圧迫を省略でき、患者の拘束時間短縮とスタッフ負担軽減につながる。さらに術後出血のリスク低減は、夜間休日の緊急対応件数を減らし、結果として医院全体の時間的効率と安全管理上の安心感を向上させる。 |
経営面の考慮 | スポンゼルのような保険収載材料は原価と保険償還額の差による利益が小さいが、少なくとも収支への直接影響は限定的であった。サージセル等への移行後も保険収入で概ねカバーされるため、材料費負担で大きく採算が悪化することはない。ただし、止血材の不使用という選択肢も検討できる。圧迫止血や縫合のみで対応すれば材料費はゼロとなり収益率は上がるが、術後出血リスク増加によるトラブル対応コストや患者満足度低下の可能性を踏まえる必要がある。適切な止血材を用いて患者の安全と安心を確保することは、信頼性向上による間接的な経営メリット(紹介増加やリコール率向上など)につながるため、短絡的なコスト削減より総合的なROI(投資対効果)で判断することが望ましい。 |
理解を深めるための軸
スポンゼルの供給中止問題を検討するにあたり、臨床的な視点と経営的な視点の両軸から考えることが重要である。臨床面では「術後出血ゼロ」を追求するあまり材料に頼りすぎると、本来必要な縫合や圧迫といった基本処置が疎かになる恐れがある。一方で材料を用いない止血は時間がかかり、出血リスクを残すことで患者の安全や術後経過に影響する可能性がある。
経営面では材料費や在庫管理コストが懸念となる。スポンゼルに代わる製品が高価であれば、保険償還との差額負担や、自費材料なら患者への追加請求が発生する。しかし経営的損得だけで判断すると、止血の失敗による再処置や救急対応の手間、人件費ロスなど見えにくいコストを見落としかねない。臨床の質(患者安全)と医院の効率・収益はしばしばトレードオフに見えるが、止血材の活用に関しては二者はむしろ調和し得る。すなわち、適切な代替品を選択することで術後合併症リスクを減らし、結果的に医院の評価向上や無駄なコスト削減に寄与する。このように臨床軸と経営軸の双方を意識しながら、スポンゼル後継の止血戦略を策定することが求められる。
トピック別の深掘り解説
代表的な適応症と禁忌事項
スポンゼルは長年、抜歯後の止血に定番の材料であった。親知らず抜歯や歯周外科、小腫瘍摘出後など、抜歯窩や手術創からの出血をコントロールする目的で広く用いられている。スポンゼル自体はゼラチンスポンジという分類で、各種外科領域の止血および褥瘡・潰瘍の被覆が適応となっていた(血管内塞栓への使用は禁忌)【参考3】。歯科領域ではアルギン酸塩による止血剤(ボクシール)などと並び、口腔外科で汎用されてきた歴史がある。
禁忌事項としては、大量の動脈性出血への単独使用が挙げられる。例えば顎骨内の動脈分枝が損傷したケースでは、スポンゼルを詰めるだけでは不十分で、結紮や凝固処置が必要である。また、感染創部への留置も慎重に判断すべきである。スポンゼルは異種タンパク(ウシ由来)であるため、感染下では異物として炎症を助長する懸念があり、基本的には感染をしっかりコントロールした上で用いる。術後に感染が疑われる場合は、残存するスポンゼルを除去しドレナージすることも選択肢となる。
一方、サージセル(酸化再生セルロース)は植物繊維由来の吸収性素材であり、禁忌は明確には定められていないが、同様に大出血時の単独使用は避けるべきである。サージセルは酸性物質であるため、感染創や汚染創ではpH低下が組織修復に影響する可能性が指摘されている。そのため、創面を清潔にした状態で適用し、感染リスクが高い場合には抗菌薬投与など全身管理も併用する。スポンゼル・サージセル共に血管内への誤挿入は禁止であり、歯科では起こりにくいが、万一誤って血管に入り込むと塞栓を引き起こす危険がある。
なお、患者のアレルギーについては注意が必要である。スポンゼルは原料のゼラチンがウシ由来コラーゲンから製造されている【参考3】。過去にゼラチンワクチンでアレルギーを起こした患者などには慎重を期す。一方サージセルは主成分がセルロースであり、生体に存在しない多糖だが抗原性は低い。しかし酸化処理による低pHが組織に刺激を与えることがあり、まれに強い炎症反応(異物反応)を示す症例も報告される。そのため術後経過で疼痛や腫脹が通常より強い場合、残留物の有無をチェックし必要なら除去・洗浄する対応もとる。
止血処置のワークフローと品質確保のポイント
標準的な止血ワークフロー: 抜歯などで創縁からの出血が続く場合、まずガーゼ圧迫や縫合による止血を試みる。それでも止血が不十分または確実な止血が望ましい場合に、止血材を併用する流れとなる。具体的には、スポンゼルを滅菌包装から取り出し、必要サイズ(創よりやや小さい程度)にハサミで切る。乾燥したまま使うこともできるが、少量の生理食塩水に浸すと柔軟になり創形に馴染みやすい。準備したスポンゼルをピンセットで創洞内に挿入し、創面全体に行き渡るように配置する。その後、ガーゼを当てて指圧し、数分間しっかり圧迫する。必要に応じて8の字縫合等でガーゼごと固定すれば、患者に圧迫を指示しつつ他処置を進めることもできる。圧迫除去後、出血が止まっていればガーゼを外し、スポンゼルは創内に残したまま創縁を糸で閉じる(完全閉鎖せず一部開放がお勧めである)。最後に余分な飛び出し部分があれば切除して処置完了となる。
品質確保のポイント: スポンゼルは吸血により数倍以上に膨潤する性質がある【参考3】。そのため「入れすぎない」ことが重要なポイントである。創内部の容積を超える量を詰め込むと、膨張したスポンジが圧迫壊死や疼痛の原因となりうる。小さめに切った1枚を基本とし、どうしても複数枚使う必要があるときも、様子を見ながら段階的に追加する。また、あらかじめ創出血をできる限り除去・洗浄しておくことも効果的である。血餅の材料となる血液はスポンゼルが吸収した後ゲル状になるが、過度な出血下では希釈され効果が落ちるため、スポンゼル適用前に一度圧迫止血で出血量を減らしておくとよい。
代替品のサージセルの場合も基本手順は同様だが、形状が綿状シートやガーゼ状である点が異なる。サージセル・ガーゼ型はそのままガーゼ様に用いる。綿シート型(スポンゼルに近い大きさのもの)は軽く圧接すると血液で繊維が崩れて創面に密着する。サージセルは水に触れると急速にゲル化し繊維がバラバラになるため、できるだけ乾いた状態で創に置き、直ちに圧迫固定することが大切である。一度ゲル状になると操作が難しくなるので、配置の微調整は乾燥時に済ませるのがコツである。品質管理上はスポンゼル同様、滅菌状態を保つことが大前提である。開封後に未使用分を保管することは避け、無菌操作で必要量のみ使用する。直射日光や高温多湿で劣化しやすいため、保管条件にも注意したい。また、各製品の有効期限を把握し、期限切れ品を誤って使うリスクを防ぐため在庫は適量に絞るなどの管理体制も品質確保の一環である。
安全管理と患者説明の実務
止血材を使用する際の患者安全と説明責任についても触れておく。まず、患者には処置内容として「止血用のスポンジを傷口に入れてあります」と伝えるべきである。透明なゲル状に変化したスポンゼルが舌先に触れると、患者によっては異物と勘違いしてしまうためだ。あらかじめ説明し、「触らずそのままにしておいてください」「自然に体に吸収されます」と伝えることで不要な不安と自己判断の除去操作を防げる。また、術後の注意事項として強いうがいや創部への刺激を避けること、そして万一また出血してきた場合は清潔なガーゼを当てて圧迫し、止まらなければすぐ連絡をするよう指導する。止血材を使ったから絶対大丈夫という保証はないため、患者自身にも適切な対処法を持たせておくことが重要である。
安全管理上、術者側の注意点もいくつか挙げられる。スポンゼルは生体適合性が高く安全な素材だが、前述のとおり感染リスクには注意する。糖尿病患者や免疫低下患者では、止血材が残存することで創部が嫌気的環境となり感染が起こりやすくなる可能性がある。そのため、そうしたハイリスク症例では術前から抗生剤予防投与や、術後経過観察を密にするなどの対策をとる。仮に創部が発赤・腫脹して感染兆候が出た場合、迷わず縫合を開いて洗浄し、止血材を除去する。止血材に固執して残すより、感染制御を優先する方が患者の安全に資する。術後に血餅が取れてしまうことを恐れて処置をためらう気持ちも理解できるが、感染下では二次出血よりも重篤な状況を招きかねない点を認識しておく必要がある。
患者への説明では、スポンゼルが動物由来であることまで通常伝える必要はない。しかし、患者から材料に関する質問があれば正確に答えられるよう準備しておくことが望ましい。例えば「何でできているのか」と聞かれた場合、「ゼラチンというタンパク質でできたスポンジ状の薬剤です。最終的には体に吸収されます」と答えれば十分である。また稀な例だが、信仰上の理由で動物由来物質の使用を嫌う患者もいる(極端な例では牛由来物不使用を望む菜食主義者など)。そのような場合にはセルロース製のサージセルやコラーゲン(豚由来)製のテルプラグなど代替品の選択肢を説明し、患者の同意を得た上で使用する配慮もあり得る。医療広告ガイドライン上、個々の製品名を患者に宣伝する必要はないが、安全説明の一環として質問には正確に答える姿勢が信頼につながる。
最後に、偶発症への備えとして医院内でのフローを整えておく。例えば止血材使用後に帰宅した患者から「ガーゼを外したらゼリー状の塊が出てきた」と連絡が入ることがある。この場合、止血が保たれていれば心配ないこと、血の塊(血餅)が一緒について出たのでなければ問題ないことを電話指導する。もし出血が再開している場合は来院を促し、適切な再処置を施す。スタッフにもこうした問い合わせ対応の標準マニュアルを共有しておくと安心である。スポンゼルの代替品を導入した際も同様に、その特徴に応じた説明文書や対応フローを用意し、患者への安全説明とアフターフォローを徹底することが望ましい。
費用構造と収益への影響
歯科医院における止血材使用は、保険診療の範囲内で行われることが多い。スポンゼルもサージセルも医科歯科それぞれの診療報酬点数表に材料価格が設定された特定保険医療材料である【参考1】。歯科では処置時に使用歯科材料として請求でき、例えばスポンゼル小サイズ1枚5,700円はそのまま患者一部負担金(3割負担なら約1,900円)に反映される。医院には残りの保険請求分が収入として入るが、同額程度を卸業者への仕入れ支払いに充てる形で、実質的な粗利はほとんどない。材料で儲ける性質のものではなく、あくまで処置を円滑に行うためのコストと位置付けられていた。
今回スポンゼルが販売中止となり、代替のサージセルに切り替えても収入と原価の構造は大きく変わらないと考えられる。サージセルもほぼ同額の価格設定であり、卸価格もおおむね保険償還額内に収まるよう調整されている【参考1】。したがって、経営面では患者に追加請求する必要もなく、材料費負担の増減もごく僅少である。一方で、在庫コストと調達リスクは看過できない要素である。スポンゼル不足が続いた2021年以降、医院によっては在庫を抱え込む対応をしたところもある。しかし結果的に市場在庫は枯渇し、多くの医院が必要数の確保に苦労した。今後はサージセル等に頼ることになるが、仮にこちらも流通が不安定になれば同様の問題が起こり得る。経営的リスク管理として、止血材在庫は平時から必要最低限を発注しつつ、流通情報にアンテナを張っておくことが大切である。メーカーやディーラーから供給不安の連絡があれば、計画的に発注を前倒しする、あるいは別ルートでの調達(複数ディーラー契約など)を検討する。過剰在庫は期限切れ廃棄の損失につながるため避けたいが、不足が命取りになる場面(出血多量の患者対応など)を想定し、最低限の備蓄と緊急時の仕入れルート確保は経営上の危機管理といえる。
また、スポンゼル代替品の中には保険外のものもあるため、その扱いで収益構造が変化する可能性がある。例えばテルプラグ等の自費材料を積極活用する場合、1症例あたり数千円から1万円程度の収入増となるが、その分患者負担が増えることで同意取得やサービス説明の時間コストが発生する。自費で提供する以上、確かな付加価値(創部の治癒促進やドライソケット予防効果など)をエビデンスに基づき説明し、患者が納得して選択する形にしなければトラブルの元である。医院としては単純な材料代以上に、患者満足度と収益のバランスを考えた戦略が必要になる。具体的には「インプラント予定の抜歯ではテルプラグを自費提案し、通常の抜歯では保険内の止血材で対応する」など、ケースによって収益モデルを使い分ける工夫が考えられる。こうしたメリハリの効いた運用により、経営的にも無理なく新たな材料導入のメリットを享受できるだろう。
外注・院内対応・新規導入の選択肢比較
止血材不足の問題に対し、各医院が取り得る選択肢を整理する。大きく分けて(1) 外部に任せる、(2) 手持ちの方法で凌ぐ、(3) 新たな材料を導入するの三通りが考えられる。まず(1)は、例えば難症例の抜歯を専門医や病院口腔外科に紹介してしまう方法である。高度な抗血栓療法中の患者や全身疾患を抱える患者の抜歯で出血リスクが高い場合、自院で無理せず止血管理に慣れた施設に託すという判断だ。この場合、材料コストも術後管理コストも発生しない反面、紹介先への外来受診手配や紹介状作成の手間がかかる。また患者を手放すことで収益機会を逃すだけでなく、「あの歯医者では抜歯してもらえなかった」と患者に感じさせてしまえば信頼低下につながるリスクもある。従って、外注は本当に自院での対応が困難なケースに限定し、安易に採用すべき選択肢ではない。
(2)の現行手段のみで凌ぐとは、スポンゼルのような専用止血剤を使わずガーゼ圧迫・縫合のみで止血管理する運用を指す。止血材が手に入らない以上、多くの一般開業医は一時的にこの方法で凌いだことだろう。実際、スポンゼルを「ほとんど使ったことがない」という歯科医師も少なくなく、難易度の高い抜歯自体を避けていれば止血材なしでも日常診療にさほど支障はない。しかし症例によっては長時間の止血操作が必要になり、診療スケジュールを圧迫する。特に高齢者や抗凝固薬服用者では術後に止血不良となる割合が上がるため、後出血のリスク管理に不安が残る。術者やスタッフの精神的負担も考慮すると、やはり代替手段なしで永続的に運用するのはリスクが高いと言える。
(3)の新規材料の導入は、本記事で検討しているサージセル等への切替である。これを積極的に行うことで、基本的にはスポンゼル使用時と同程度の安全・効率レベルに診療を戻せると期待される。導入に際して考慮すべきは初期コストと習熟である。初期コストとして、サージセルの場合1箱10枚入り程度で数万円の発注が必要になるが、前述の通り保険でカバーされるため回収は可能である。コラーゲンスポンジ等は仕入れ自体がやや割高だが、その分を患者請求すれば医院持ち出しはない(患者の同意取得に手間はかかる)。習熟に関しては、素材の扱い方がスポンゼルと多少異なるためスタッフ教育が求められる。例えばサージセルは非常に繊維が細かくふわふわしているため、従来以上に清潔操作と迅速な配置が要される。導入前に院内ミーティングやメーカーからのデモ指導を受け、使用手順を共有しておくとよい。導入後しばらくはトライアル期間と位置づけ、問題点をフィードバックして運用を調整する姿勢も大切である。
以上のように三つの選択肢には一長一短があるが、患者リスクと医院の提供価値を考慮すると(3)の新規導入が基本路線となろう。外注は最後の手段、材料不使用は暫定対応と位置づけ、最終的には自院で完結できる止血体制を再構築するのが望ましい。
よくある失敗パターンとその回避策
止血材の使用や切替にまつわる失敗例も事前に知っておくことで回避しやすくなる。まずありがちなのは、止血材に過信してしまう失敗である。スポンゼルを入れれば安心だと油断し、重要な血管の結紮漏れや不十分な圧迫のまま縫合してしまうケースだ。これでは材料があっても出血は止まらず、結局後から大きな血腫や出血となって現れる。回避策: 止血材はあくまで補助であり、基本の圧迫止血と適切な縫合をしっかり行った上で使用する、という原則を常に確認すること。
次に、使い方を誤る失敗も散見される。スポンゼルを乾燥したまま大量に詰め込みすぎたり、逆に細かく千切ってバラバラに入れたりすると、膨張時に創縁からこぼれ出てしまい逆効果である。ときに患者が舌で触れて全部吐き出してしまうこともあり、かえって止血が遅れる。回避策: 適切な大きさ1片を創洞形状に沿わせて配置し、確実に圧迫固定すること。はみ出す部分は切除するか、中へ押し込まず潔く取り除く。止血材は「大は小を兼ねない」のである。
管理面の失敗としては、在庫切れや期限切れに気づかず処置直前に慌てる例がある。スポンゼル不足が深刻化した際、手持ちがないまま抜歯に臨んで冷や汗をかいた先生方もいただろう。回避策: 材料在庫は定期チェックし、○個以下になったら発注という基準を設けておく。また新規品に切り替えた際は、古いスポンゼル在庫を処分したにもかかわらずカルテ記載やオーダーが「スポンゼル」のままでスタッフが迷う、といった混乱も起こり得る。システム上の名称変更やスタッフへの周知徹底を図り、現場認識のズレを防ぐ必要がある。
患者対応の失敗では、術者が説明を怠ったために患者が自宅でスポンゼルを取り除いてしまい、再出血を招いた例が報告されている。患者心理として口の中の異物は取りたくなるもので、何も言われなければ自己判断で触ってしまう。回避策: 前述したように術後の材料残存については必ず説明し、起こりうる状況を共有しておく。また、万一患者が取り除いてしまったときの対処法(出血時の圧迫など)も伝えておけば被害は最小限にできる。
最後に、代替品導入に関する失敗として、情報収集不足から誤った製品選択をしてしまうケースがある。例えばサージセルにも複数タイプあり、本来歯科には不向きな大判サイズや吸収に時間のかかる厚手タイプを選んでしまうと、使い勝手が悪かったりコスト過剰になったりする。回避策: 歯科向けに提案されている製品(サージセルMDの綿状シートタイプなど)をディーラーやメーカー担当者と相談して選び、試用してから本格採用する。可能なら同業の先生方の体験談や学会・スタディグループでの情報交換を通じて評価を集め、製品選択の判断材料にするとよい。
導入判断のロードマップ
スポンゼルが使えなくなる中で、自院に最適な対応策を決めるには段階的な検討が有効である。以下に導入判断のプロセスをロードマップとして示す。
Step 1. 自院の需要を把握する
まず現在の止血材使用状況を洗い出す。過去半年〜1年でスポンゼル等を何枚使用したか、どんな症例で使ったかを調べる。例えば「年間10枚未満、しかも親知らず抜歯は全て口腔外科に紹介している」というのであれば、無理に代替品を導入せずともやっていけるかもしれない。一方「毎週のように抜歯や小手術で使用し、在庫が常に必要」という医院であれば、早急に新たな仕入れルートを確保する必要がある。需要の程度によって対応の方向性が定まる。
Step 2. 選択肢の絞り込み
需要がある程度見込まれる場合、具体的な代替策を選ぶ段階に入る。保険診療内で済ませたいならサージセル一択となる可能性が高い。すでにメーカー推奨もあり、信頼性・実績とも十分だからである【参考1】。一方、自由診療の選択肢を取り入れる余地があるなら、テルプラグ等のコラーゲン製品も検討する。例えば「将来インプラントのために骨保存を図りたい抜歯症例ではテルプラグを用い、それ以外はサージセルで対応する」というハイブリッドも可能だろう。また、止血難渋例がたまに発生する程度なら最低限の備えとしてヘムコンのような強力な止血パッドを少量ストックしておき、通常はガーゼ圧迫で対応するといった戦略もある。医院の診療コンセプト(どこまで自院で処置を完結するか、先進材料をどこまで取り入れるか)に照らし、自院に合った組み合わせを選び抜くことが重要である。
Step 3. コストとリスクの試算
次に、それぞれの選択肢について費用対効果をシミュレーションする。例えばサージセルを導入する場合、年間使用数と仕入れ単価から年間材料費を試算し、保険収入で相殺されるか確認する(多くの場合は収入=費用で損得なしとなる)。テルプラグを導入する場合、希望する患者の割合を見込み、その売上(例:1個5,000円×月5症例=月25,000円)と在庫ロスリスクを計算する。ヘムコンの場合は使えば使うほど医院負担となるため、本当に必要なケースのみ月数回使う想定で、その場合に後出血対応の時間コスト削減と天秤にかけて許容できるか検討する。このように選択肢ごとに経済面・リスク面のメリットデメリットを書き出すことで、最適解が浮かび上がりやすくなる。
Step 4. スタッフと運用設計の相談
院長の頭の中で方針が固まったら、実際に現場で動くスタッフとも共有し意見を聞く。歯科衛生士や助手は止血材の準備や術後説明に関わるため、新しい材料に対する不安や疑問を持っているかもしれない。スタッフ教育にどの程度時間を割けるかも含めて、現実的な運用設計を話し合う。例えば「サージセルは扱いが難しいから導入するなら事前に練習が必要」「テルプラグを患者説明するならパンフレットが欲しい」等の率直な声が出るだろう。そうした現場感覚を取り入れつつ、具体的な導入スケジュール(いつ注文し、いつから使い始めるか、在庫管理は誰が担当するか等)を決めていく。
Step 5. 小規模な導入テスト
可能であれば、いきなり全量を切り替えるのではなくトライアル期間を設けるとよい。例えばサージセルを1箱(10枚)だけ購入し、まず社内モニター的に数症例で使ってみる。その結果、使いやすさや止血効果、患者の反応を評価する。問題なければ本格導入へ、使いにくさがあれば追加のトレーニングや他製品再検討へ、と軌道修正が効く。特にコラーゲンスポンジなど高価なものは、一部の希望患者だけに提供してフィードバックを集めることで、無駄な投資を避けられる。また、トライアル中に旧製品(スポンゼル)の在庫が残っている場合は、それも併用しつつ比較すると理解が深まる。スタッフ間で共有することで、新旧の違いを全員が実感し、スムーズな移行につながる。
Step 6. 正式導入と周知徹底
最後に、正式に新体制へ移行する。スポンゼルは今後入手不能となるため、院内プロトコルやマニュアル上も名称を新しいものに置き換える。例えばマニュアルに「抜歯後は必要に応じスポンゼル使用」とあれば「吸収性止血材(サージセル)使用」に修正する。スタッフにも改めて周知し、紛らわしい旧名称は使わないよう徹底する。患者説明用のツール類(抜歯後注意事項の文書など)も、スポンゼルについて触れていたら削除や書き換えを行う。ウェブサイト等で「当院では○○を使用しています」と宣伝していた場合も、内容を更新する。医薬品から医療機器への変更となるため院内の薬品管理リストや在庫一覧のカテゴリも見直しが必要だ。こうした細部まで反映させて初めて、新しい止血材導入が完了したと言える。
出典(最終確認日:2025年10月)
- LTLファーマ株式会社「スポンゼル®販売中止のご案内」(2024年10月) – スポンゼル安定供給困難により2025年9月をもって販売中止決定と公式発表した文書。代替品としてジョンソン・エンド・ジョンソン社のサージセルMDへの切替え推奨が示されている。
- LTLファーマ株式会社「スポンゼル® 特約店卸への限定出荷継続と代替候補製品のご案内」(2023年8月) – 他社類似製品ゼルフォームの供給停止による需要増と生産上の制約から、スポンゼルの通常出荷再開が困難となった背景を説明した通知文。安定供給の見通しが立たない中で代替候補としてサージセルMDの案内がなされている。
- スポンゼル医薬品インタビューフォーム第6版(LTLファーマ, 2021年改訂) – スポンゼルの承認・薬価収載は1950年代であり、動物由来ゼラチンを原料とする吸収性止血材であること、組織内で膨張するため過充填に注意が必要なこと等が記載されている。ゼルフォームは豚由来ゼラチン製剤である点も指摘されている。
- ドクターブックアカデミー「スポンゼルの供給状況に関するお知らせとサージセル®のご案内」(Johnson & Johnson提供) – スポンゼル販売中止に伴う歯科向け情報サイトの案内ページ。代替製品サージセルの概要や使用方法を動画で解説しており、歯科医院での円滑な切替を支援する内容となっている。
- 舩﨑正則:「やる気のなくなる薬の出荷制限や消滅(製造中止)」(ふなさき歯科医院ブログ, 2024年10月) – 歯科開業医によるコラム。ジェネリック医薬品の低収益構造が生産中止を招く現状について述べる中で、スポンゼルも市場縮小により製造中止となった旨に言及。臨床現場の実感として「使用頻度が低く採算も合わないものは企業も製造をやめる」との指摘がなされている。