1D - 歯科医師/歯科技師/歯科衛生士のセミナー視聴サービスなら

モール

訪問歯科で働く上で気を付けることとは?押さえておくべきポイント3選

訪問歯科で働く上で気を付けることとは?押さえておくべきポイント3選

最終更新日

ある在宅療養中の高齢患者の訪問診療で、歯科医師は上顎の義歯製作のための印象採得を試みた。ベッド上で仰臥位の患者にトレーを挿入したところ、突然強い嚥下反射で咳き込み、印象材が喉に流れ込みそうになった経験がある。診療チェアのない不安定な姿勢や飲み込み機能の低下を踏まえ、診療の進め方に細心の注意が必要だと痛感した瞬間である。このように訪問歯科診療では、外来とは異なるリスクや工夫が求められる。

本記事では、在宅や施設で歯科医療を提供する際に押さえておきたい臨床・運用上のポイントを3つに整理し、明日から安全かつ効率的に訪問歯科に取り組むための具体策を解説する。臨床判断のヒントだけでなく、保険請求や経営面の視点も含め、訪問歯科診療の「勘所」を示す。

要点の早見表

重点ポイント解説
1. 医療安全と患者対応通院困難な高齢・要介護患者が主対象。全身状態を把握し、誤嚥防止や偶発症対応を徹底する。外科的処置や高度な画像診断など訪問で不可能な治療は明確にし、必要時は外来受診や病院紹介を検討する。患者本人だけでなく家族・介護者への事前説明と同意取得を丁寧に行う。
2. 環境整備と感染対策訪問先の環境(自宅ベッド上や施設の居室)に合わせた可搬式の機材・器材を準備する。ポータブルユニットや吸引器、照明器具、エックス線機器(必要に応じて)を持参し、電源や作業スペースを確保する。使用器具は滅菌済みのものを患者ごとに用意し、標準予防策を遵守する。スタッフの体調管理や個人防護具の活用により、院内からの感染持ち込みと訪問先での交差感染を防ぐ。
3. 保険制度と運営管理保険適用の条件(患者が1人で通院困難であること、診療所から半径16km以内など)を理解し遵守する。訪問診療料の施設基準を届け出て適切に算定し、診療記録(訪問日時・処置時間等)を正確に残す。1日の訪問範囲は無理なく設定し、移動効率を考慮したスケジュールで収益性を確保する。歯科衛生士等チームで分担し、介護保険も活用した口腔ケア指導を継続する。

理解を深めるための軸

訪問歯科診療における意思決定は、大きく「臨床上の安全配慮」と「経営上の採算管理」の二軸で考えることができる。臨床面では、高齢者や有病者が多い訪問診療では全身状態の把握と安全確保が最優先となる。一方で経営面では、外来診療との両立や保険制度への適応によって、医院全体の収支や運営効率が左右される。例えば、患者の嚥下機能低下に配慮した処置体制を整えることは臨床的リスクを減らすと同時に、再トラブル防止による無駄な往復や再診の削減につながり経営的メリットともなる。また、訪問エリアを適切に設定し複数患者をまとめて訪問すれば移動時間を短縮でき、これは患者の待ち時間減少という臨床サービス向上と、空き時間の有効活用による収益改善の双方に寄与する。このように臨床の質と経営効率は表裏一体であり、片方の工夫がもう一方の改善にもつながる点を意識することが重要である。

では、訪問歯科で働く上で特に注意すべき主要な論点について、順に深掘りしていこう。

代表的な適応と禁忌の整理

対象患者の適応条件として、訪問歯科診療は基本的に自身での通院が困難な患者に限定される。高齢による足腰の衰えや脳卒中後遺症などで歩行が難しい方、重度の障害や認知症で外出が難しい方、寝たきりの方などが典型である。介護保険で要介護認定を受けているケースが多く、ケアマネジャーが関与していることも多い。一方、禁忌・対象外となるのは、介助があれば通院可能な程度の方や、単に多忙で通院できないといった事情の方である。保険制度上も「通院が多少困難」という理由だけでは訪問診療の正当な理由とは認められない。患者が車椅子での移動が可能で他の科には通院できている場合などは訪問診療の適用外となり、原則通院での対応となるので注意する。

また、訪問診療で可能な処置の範囲も把握しておく必要がある。訪問先に持ち込める機材には限りがあり、基本的なむし歯治療(う蝕除去と充填)や歯周治療(スケーリング・ルートプレーニング)、義歯の調整・修理・簡易な新製、摂食嚥下リハビリ、口腔ケアなどが主なメニューとなる。実際、在宅歯科診療で行われる処置の約半数は歯周病管理であり、次いで義歯の調整・修理、新規義歯作製といった補綴処置が多いとの報告もある。これは対象患者の多くが高齢者で、残存歯の管理や義歯の適合改善が需要の中心であることを反映している。一方で対応が難しい処置として、外科的処置(埋伏歯の抜歯や顎骨の手術など大掛かりなもの)、高度な画像診断(CT撮影など)、全身麻酔や静脈内鎮静を要するような処置は訪問歯科では行えない。例えば、横になった状態での難しい親知らずの抜歯や、病巣の精密な診断が必要なケースでは、安全のためにも歯科医院や病院口腔外科への受診を促すほうが良い。これらの適応と禁忌をあらかじめ患者や家族に説明し、訪問診療で可能な範囲と限界を共有しておくことがトラブル防止につながる。

標準的なワークフローと品質確保の要点

訪問歯科診療のワークフローは事前準備から始まる。まず依頼や紹介を受けた時点で、患者の全身状態・要介護度・現病歴や内服薬、既往などの情報収集を行う。可能であれば主治医やケアマネジャーと連絡を取り、医科の診療情報提供書やケアプランを参照しておく。初回訪問の前に、必要な機材と器材のチェックリストを用意し、漏れなく準備する。ポータブルユニット(エアタービンや吸引を備えた小型診療ユニット)、滅菌済みのハンドピース・器具一式、グローブやエプロンなどの衛生資材、必要に応じて携行用エックス線撮影装置やポータブルライトなどをバッグにまとめる。患者宅や施設の住所と経路を確認し、駐車場や建物のアクセス(エレベーターの有無、階段など)も事前に把握するとスムーズである。

訪問当日は時間通りに訪問し、名乗って挨拶するところから始まる。治療場所としてベッドサイドや車椅子上、椅子に座った状態など患者の状態に合わせて選定し、周囲の生活空間に配慮しつつ必要な器材をセッティングする。診療前に改めて患者や家族に当日の処置内容を説明し、協力を得る。処置中は診療補助者(歯科衛生士やアシスタント)がバキュームで唾液や水分をしっかり吸引し、患者が誤嚥しないよう頭位や体位を調整する。適宜休憩を挟み、患者の負担や不安を軽減するよう努める。訪問先では歯科用ユニットのような器具台や照明が不足しがちなので、ライト付きルーペやヘッドライトで視野を確保し、清潔なトレーやシートを用いて器具の置き場を工夫する。品質確保の観点では、外来と遜色ない治療結果を出すために、印象採得や咬合調整なども丁寧に行う必要がある。例えば義歯調整では実際の食事場面で支障がないかも確認し、可能なら訪問時に義歯の適合を繰り返しチェックする。処置後は使用した器具の始末と廃棄物の回収を確実に行う。鋭利物は専用容器に入れ、汚染物は密封して持ち帰り、院内で適切に廃棄・滅菌することが必須である。最後に患者と家族に本日の処置内容と口腔内の状態、今後のケア方針を説明し、次回訪問の予定を調整する。カルテには訪問の日時、処置開始と終了時刻、実施処置の内容、患者の全身状態の確認事項などを詳細に記載する。標準化された訪問診療プロトコルに沿って動くことで、抜け漏れやヒヤリハットを防ぎ、在宅でも外来と同等レベルのケア品質を維持することができる。

安全管理と説明の実務

訪問歯科診療では医療安全の確保がとりわけ重要である。まず訪問前の段階で、対象患者の全身状態に応じたリスク評価を行う。血圧コントロール不良や不整脈がある場合、処置内容によっては主治医と相談しながら慎重に対応する。抗凝固薬を内服している患者に抜歯が必要なときは、あらかじめ止血対策を準備し、場合によっては医科での対応も検討する。訪問先ではバイタルサインを観察し、必要に応じて血圧計やパルスオキシメーターを持参して測定する。特に嚥下機能低下や認知症がある患者では、誤嚥・窒息への備えが欠かせない。処置中はできるだけ患者を起こした姿勢(車椅子やベッド背上げ可能なら上半身を30〜45度以上挙上)にして、気道確保と誤嚥防止に努める。義歯調整や口腔ケアでは、多少横向きにして口腔内容物が咽頭に流れにくい体位を取ると安全性が増す。粘膜や舌の感覚が鈍麻している高齢者では小さな器具や綿球でも飲み込む恐れがあるため、術者から目を離さず細心の注意で扱う。万一、誤嚥や誤飲が疑われた場合はただちに診療を中断し、必要であれば背部叩打法や吸引で異物除去を試みる。呼吸状態に変化があれば迷わず救急要請し、主治医にも連絡して指示を仰ぐことが肝要である。

感染対策も訪問診療の安全管理の柱である。患者宅へ菌やウイルスを持ち込まないよう、標準予防策(スタンダードプリコーション)を徹底する。訪問スタッフは出発前に検温と健康チェックを行い、少しでも体調不良があれば交代して院内で静養する。全員マスク着用・手指消毒は当然として、処置時にはグローブとゴーグルまたはフェイスシールドを着用し、出血や飛沫を伴う処置では使い捨てエプロンや袖付きガウンで衣服を保護する。患者や家族にも必要に応じてマスク着用をお願いし、換気可能な環境で診療するよう努める。用いる器具類は事前にオートクレーブ滅菌済みのものを個別にパックして持参し、使用後はその場で洗浄せずパックに戻して密閉し持ち帰る。訪問先では洗面所等を借りての器具洗浄は避け、汚染物はすべて院内に持ち帰って集中処理するのが望ましい。訪問後に院内で超音波洗浄と滅菌を行い、次回使用に備える。感染症流行期には特に注意が必要で、新型コロナウイルス流行下では一時的に施設側から外部受け入れを拒否される場合もあった。その際は無理に訪問せず、事前に患者の状態や口腔ケアのポイントを書面で施設職員に伝えるなど代替策を講じ、急を要する場合のみ個別に対応する。こうした感染防御の取り組みは患者や家族への安心感にもつながるため、訪問前の説明時に「器具はすべて滅菌したものを持参します」「スタッフ全員、訪問前に検温し感染対策を徹底しています」などと伝え、信頼関係の構築に努めることも実務上のポイントである。

患者・家族への説明と同意も訪問診療では一層丁寧に行う。患者本人が認知症等で判断能力が低下している場合、キーパーソンと呼ばれる代理意思決定者(多くはご家族)を事前に確認し、その方に治療方針の説明と同意取得を行う。介護サービス利用中なら担当ケアマネジャーとも密に連絡を取り、訪問診療開始の旨と口腔ケア方針を共有する。ケアマネジャーは患者の生活全般を把握し介護計画を立てているため、口腔状態の情報提供や相談は欠かせない。説明にあたっては、訪問診療ではできること・できないこと、頻度やスケジュール、費用負担(医療保険と介護保険の区分、交通費徴収の有無など)を明確に伝える。特に訪問歯科は外来より費用が「高めになる」という印象を持たれることもあるため、保険点数体系に沿って適正に算定していることや、複数の患者を同日に診る場合は1人あたりの診療料が軽減される仕組みなども説明しておくと良い。こうした事前の合意形成により、後日の請求時トラブルや不要な不信感を防ぎ、安全かつ円滑な訪問診療の継続が可能となる。

費用と収益構造の考え方

在宅歯科診療を継続して提供するには、採算性を踏まえた運営計画が必要である。訪問歯科特有の診療報酬体系を理解し、効率的なサービス提供を図ることが重要だ。医療保険の「歯科訪問診療料」は、1日のうち同一建物内で診療する患者数と診療時間によって点数が変動する仕組みになっている。例えば自宅や施設で1人の患者のみ診療した場合は最も高い区分(歯科訪問診療料1)として算定でき、約1,100点(=11,000円相当)となる。一方、同じ建物で複数の患者を順番に診る場合、2~9人の場合はそれぞれ歯科訪問診療料2または3といった区分になり1人あたり410点や310点など低く抑えられる(患者数が多いほど1人あたりの点数は低減する)。これは往診の手間を勘案し、複数患者の同日訪問では移動コストが分散されるためである。さらに10人以上の大規模施設ではもっと低い区分となる。したがって、効率面では同じ日に同じ施設で複数の患者をまとめて診療する方が総収入は増えやすいが、1人あたりの診療報酬は減るため短時間で回れるケア中心の診療を組み合わせるなどの工夫が求められる。

診療報酬にはこのほか訪問診療特有の加算が複数設定されている。例えば、長時間(例えば30分以上)の診療には「患家診療時間加算」、夜間や深夜の緊急訪問には時間帯加算、地域の医科歯科連携を行う診療所には「地域医療連携体制加算」、定期的かつ継続的に在宅療養支援を行う診療所には「在宅歯科医療推進加算」などがある。また歯科衛生士が訪問して口腔ケア指導を行った場合は「訪問歯科衛生指導料」(介護保険または医療保険で月一定回数まで算定可)が算定できる。これらを適切に組み合わせ、保険請求もれが無いようにすることが経営上は重要だ。そのために制度の最新動向にも注意が必要で、診療報酬改定で訪問診療関連の算定要件が変更されることもある(例えば令和6年改定では訪問歯科衛生指導料の算定回数制限緩和などの見直しが行われた)。院長や事務担当者は厚労省の通知や疑義解釈をチェックし、院内で共有しておきたい。

収益構造を考える際には、まず初期投資とランニングコストを把握する。訪問歯科を始めるには、ポータブルユニット(小型の診療機器一式)、往診バッグ、器材の複製(外来用とは別に訪問用のミラーや探針・スケーラー等を複数セット用意)、場合によってはポータブルエックス線や口腔内カメラなどの購入が必要になる。機材費はピンキリだが、概算で数十万円から数百万円の範囲で収まることが多い。たとえばエアコンプレッサー付きのポータブルユニットは簡易なものなら10万円台後半から、市販の国内メーカー製高性能モデルでは50~70万円前後が目安である。訪問用のデジタルエックス線装置も小型のハンディタイプが普及しており、こちらは概ね20~100万円程度の価格帯で導入可能だ。車両は自家用車を転用するケースも多いが、車体に医院名や連絡先を表示すれば広告効果が期待できる。毎月のガソリン代や駐車場代、器材の滅菌消耗品(滅菌パック、ディスポ手袋・エプロン、薬液)などの経費も発生する。これらコストに対して収益面では、前述の訪問診療料と各種加算・指導料が柱となる。特に施設基準の届出によって算定できる点数が大きく変わる点に注意が必要だ。地方厚生局への届け出を行い「在宅療養支援歯科診療所」や「歯科訪問診療料1~5」を算定可能な体制を整えていれば、1回の訪問につき最大1,100点の収入が得られるが、届け出無しで臨時に訪問診療を行うだけの場合は初診で267点、再診で58点という最低限の算定しかできない。つまり、もし継続的に訪問歯科に取り組むなら必ず必要な届出を済ませておくことが収益上不可欠である。

採算を左右するもう一つの要素は時間管理と訪問エリアである。訪問診療では移動時間が診療時間に含まれず直接収入を生まないため、1件あたりの移動コストをいかに低く抑えるかが鍵となる。一般にクリニックから車で片道20分圏内を訪問エリアの目安とすると、極端な長距離移動で外来の収入まで圧迫する事態は避けられるとされる。実際、訪問を始めて医院全体の収入が下がってしまう多くのケースでは、遠方の患者を抱え込み移動時間に占拠されすぎていることが原因となっている。したがって、訪問依頼を受ける際はサービス向上のためのエリア外対応も時には必要だが、経営上はおおむね半径16km・車で20~30分以内に限るのが無理のない範囲である。近隣で訪問診療を実施している歯科医院が見当たらず、患者の必要性が高いなど特別の事情がある場合にはエリア外でも保険適用が認められることもあるが、それ以外では16kmを超える訪問は保険請求できず自費扱いとなり患者負担も大きくなる点を念頭に置く。また1日のスケジュール組みでは、可能な限り同じ方向や近隣の患者をまとめて訪問するルートを計画し、移動に要する往復時間を圧縮する。例えば月曜午前はA地区の数件、午後はB施設内の複数患者、といった形で固めることで、移動のロスを減らしその分診療件数を増やすことができる。さらに人員配置も収益に直結する。歯科医師1名に対し歯科衛生士や助手が最低1名は同行する体制が望ましい。衛生士がいれば口腔清掃やブラッシング指導などを並行して行え、訪問歯科衛生指導料の算定も可能になるうえ、歯科医師不在でも口腔ケア継続のための単独訪問(居宅療養管理指導など)を行う選択肢が広がる。最終的に、訪問診療に割く時間帯・日数と外来診療とのバランスを検討し、医院全体の利益を損なわない範囲でサービス拡大を図ることが望ましい。収益モデルをシミュレーションする際には、過去の外来実績から1時間あたりの平均収入を計算し、それと訪問診療1時間あたり(移動含む)の収入を比較してみると目安がつく。訪問件数の増加によって仮に一時的に外来の患者数が減ったとしても、訪問でそれ以上の収入を確保できれば医院全体として成長できる計算になる。逆に、不採算になるようであればエリア設定や件数・体制の見直しを行う。以上のように費用と収益の構造を丁寧に把握し、持続可能な運営計画に乗せることが、訪問歯科診療を長く提供していく秘訣である。

外注・共同利用・導入の選択肢比較

訪問歯科診療への対応は、自院でフルセットを導入する以外にも選択肢が存在する。まず外注(アウトソーシング)の形としては、訪問歯科診療専門の事業者や歯科医師に依頼し、自院の患者を紹介して対応してもらう方法がある。例えば、地域の訪問診療専門歯科医院や移動歯科車を持つ団体と提携し、自院では対応しきれない遠方の患者や重度の要介護患者の診療を委託するケースである。この場合、自院スタッフの負担は減る反面、患者管理や情報共有が課題となる。紹介先で適切な診療が行われているかフォローし、自院での治療と整合性が取れるよう連携が必要だ。また紹介に対する金銭的なフィー等は原則発生しないため、経営的メリットは直接は無いが、自院の評判維持や患者サービスの一環として検討する価値がある。

次に共同利用の選択肢としては、複数の歯科医院で訪問診療の機材や人員をシェアする方法が考えられる。地域の歯科医師会単位で訪問歯科ネットワークを構築し、順番に訪問依頼に当たる、あるいは機材を融通し合うといった取り組みである。例えばある医院のポータブルエックス線や技工所との連携体制を近隣の他院も利用できるようにし、人手不足の場合は歯科衛生士を融通するなど協力体制を敷くケースがある。ただし煩雑になりやすいため、明確な役割分担と費用負担のルール決めが欠かせない。行政や地域包括支援センター主導で在宅歯科診療の広域ネットワークが組まれる例もあり、その場合は参加することで紹介患者の確保やノウハウ共有などのメリットが得られるだろう。

最後に自院での導入は、文字通り自院スタッフと設備で訪問歯科診療を完結させる方法である。前述のように初期投資や人件費はかかるが、診療報酬をすべて自院で収益化でき、患者情報も一元管理できる利点がある。自院で導入する場合でも、全部を自前で揃えず部分導入する選択も可能だ。例えば、基本的な口腔ケアと義歯調整だけ自院で行い、外科処置は紹介する、あるいは週に1日のみ訪問枠を設け規模を限定するなど段階的に進めることもできる。導入の可否は、その医院の患者層やスタッフ構成、地域ニーズに大きく依存する。近隣に訪問需要が多い介護施設があり、患者からの要望も多いなら積極導入の意義は大きい。一方、都市部の若年層中心のクリニックではニーズが乏しく、無理に始めても採算割れになる可能性がある。総合的に判断して、自院で訪問診療を本格展開するか、信頼できる外部サービスに任せるか、はたまた最低限のスポット対応に留めるかを決めると良い。いずれの形を選ぶにせよ、地域の中で通院困難者の口腔ケアをどう担うかという視点で関与し、地域包括ケアの一翼を担う意識を持つことが求められるだろう。

よくある失敗と回避策

訪問歯科診療の現場では、初めて取り組む際に陥りやすい失敗パターンが存在する。ここでは代表的なミスとその対処法を挙げる。

1. 機材・物品の忘れ物による再訪発生

初回訪問時に必要な器材をうっかり持参し忘れ、治療が完遂できず後日出直す羽目になるケースだ。例えば印象用のアルジネートや義歯調整用のバーを忘れて処置中断となれば、患者にも負担をかけ信頼を損ねる。回避策: 訪問セットの内容を標準化し、チェックリストを運用する。訪問バッグには常に基本器具と応急処置セット、消耗品を一定量ストックし、使用後すぐに補充するルーチンを決める。また訪問前日にアポイント毎の必要物品をリストアップし再確認する習慣をつける。

2. 保険算定の失念・減点

訪問診療特有の加算や指導料の届出・算定を失念し、本来得られる報酬を逃すミスもありがちである。例えば、在宅療養管理指導料や口腔機能管理加算の届け出を怠っていたために算定できなかった、訪問時間をカルテに記載し忘れて減点された、などのケースである。回避策: 診療報酬上の訪問関連項目の一覧と算定要件をまとめた内部マニュアルを作成し、カルテ記載のチェック項目に組み込む。レセプト作成時にも訪問日の時間や患者数に応じた区分が合っているか再確認を行う。定期的に外部セミナーや書籍で最新の算定ルールを学び、院内スタッフで情報をアップデートすることも大切だ。

3. ケアマネ・家族との連絡不足

訪問診療の開始連絡を怠り、ケアマネジャーから「聞いていない」とクレームが入ったり、家族への報告が不十分で治療方針への不信感を招く例である。特に要介護者のケアマネへの情報共有を怠ると、ケアプランに口腔ケアが組み込まれず継続に支障が出ることがある。回避策: 初回訪問前に必ずケアマネジャーに電話や文書で連絡し、訪問開始の旨と大まかな治療計画を共有する。また毎回の訪問後に簡潔な報告書(口腔内の所見や実施処置、注意事項)を作成し、家族や施設職員に渡すと信頼関係が深まる。キーパーソンとなる家族とは定期的に連絡を取り、疑問や要望に応える場を設けると良い。

4. スケジュール過密と遅延

患者ごとの処置時間や移動時間の見積もりが甘く、訪問開始時間が大幅に遅れたり外来の予約にしわ寄せが出るケースもよくある。慣れないうちは1件の訪問に予想以上に時間がかかるものだ。回避策: 最初は余裕を持った予定を組み、訪問と訪問の間隔を長めに確保する。慣れて処置時間が読めてきたら徐々に最適化する。また渋滞など不測の遅延要因も考慮し、患者や施設には「到着時間に多少幅を持たせて案内する」「遅れる場合は必ず連絡する」ルールを守る。外来との兼ね合いでは、訪問専用日や時間帯をあらかじめ設定し、スタッフと患者双方に周知しておくと衝突を避けやすい。

5. スタッフ負担の増大

院長の熱意で訪問件数を拡大したものの、同行スタッフの残業が常態化したり疲弊してしまう問題もある。訪問診療は器材準備や移動も含め体力的負担が大きいため、無理が生じるとミスや離職につながりかねない。回避策: スタッフの声に耳を傾け、訪問スケジュールを詰め込みすぎないよう配慮する。必要なら訪問専任の人員を増やすことも検討する。訪問後には適宜休憩時間を設け、器材後片付けの負担を皆で分担する。訪問先で得られたやりがいや感謝の言葉などもスタッフ間で共有し、チームとしてモチベーションを保つ工夫も求められる。

以上のような失敗例に学び、事前準備の徹底と周囲との連携強化、そして余裕ある運営計画を心がけることで、多くのトラブルは未然に防ぐことができる。

導入判断のロードマップ

最後に、これから訪問歯科診療の導入を検討している歯科医師に向けて、意思決定の手順をロードマップ形式で示す。

【ステップ1】ニーズと潜在患者の把握

まず自院で訪問診療が必要とされる規模を調査する。具体的には、過去の患者データから高齢で通院困難になりそうな患者を洗い出す。例えばカルテの年齢を検索し、80歳以上の患者をリストアップする。該当者に電話や受診時のヒアリングで状況を確認し、既に来院できなくなっている方には訪問診療の提供を検討している旨を伝える。実際、リストアップした高齢患者のうち約1割程度は訪問診療へのニーズがあるとの報告もある。さらに、地域の介護施設や在宅医療関係者からも情報を集め、近隣で歯科受診困難な方がどの程度いるかイメージする。ここで重要なのは、単発の往診ニーズ(急な歯痛の対応)と継続的な訪問ニーズ(口腔ケアや義歯調整の継続管理)を分けて捉えることである。継続ニーズが一定数見込めるなら本格導入の価値が高い。

【ステップ2】提供体制と採算シミュレーション

次に、実施に必要な体制を検討する。誰が訪問診療を担うか(院長自身か、勤務医か、歯科衛生士主体か)、週何日・何時間割けるか、必要な機材の購入品目と配置場所、車両の確保など具体的に洗い出す。そして概算コストと収入予測を立てる。収入予測では、ステップ1で把握した潜在患者数に、訪問診療1件あたりの点数(例: 平均300~500点程度を仮定)を掛け、月当たりの訪問診療収入を試算する。一方で機材購入費は減価償却も踏まえた年あたりコスト、スタッフ増員が必要なら人件費増などを算出する。シミュレーション上で黒字化できるかを判断し、難しいようなら提供範囲を限定するか協力先を探すなどの対策を検討する。

【ステップ3】法的手続きと院内ルール整備

実施を決めたら、必要な届出や手続きを行う。幸い、一般的な歯科診療所が訪問診療を開始するのに新たな許可は不要だが、算定を有利にするため次の届出を確認・提出する。「院内感染防止対策の施設基準届出」「歯科訪問診療料に関する施設基準届出」「在宅療養支援歯科診療所の届出」などである。これらを出しておけば各種加算が算定可能となり、保険請求上メリットが大きい。また、生活保護受給者への訪問診療のための指定医療機関申請なども余裕があれば行っておく。次に院内体制として、訪問診療のフローをマニュアル化する。受付時のヒアリング項目(住所・障害状況・主治医連絡先等)、カルテや予約表への記載方法、機材の準備・滅菌手順、訪問後のレセプト処理ルールなど、スタッフ全員で共有する。また緊急時対応(訪問中に体調急変が起きた際の連絡先や手順)も決めておく。可能であれば事前訓練として、院内でポータブルユニットを試運転し、スタッフ間でロールプレイを行うと良い。患者役・術者役・助手役に分かれ、ベッドや車椅子での診療を模擬体験することで、当日の段取りや注意点が見えてくる。

【ステップ4】関係者への周知と連携構築

訪問診療開始にあたっては、院内外への周知を徹底する。院内にはポスターやチラシを掲示し、待合室で在宅診療を始める旨を告知する。通院患者にも高齢の家族がいる場合があるため、「ご家族で通院困難な方がいましたらご相談ください」と声かけすることで新たな依頼につながることも多い。地域の介護事業所や居宅介護支援事業所、地域包括支援センター等にも挨拶状やパンフレットを送付し、訪問歯科の開始と特色(例: 義歯対応に強い、摂食嚥下リハ可能など)をアピールする。ケアマネジャー会などの場があれば積極的に参加し、顔の見える関係を築くことも重要だ。院長自ら動けなければ、訪問担当スタッフが地域の集まりに出て情報提供するのも一つの手である。加えて、地域の医科とも連携を図る。特に在宅医療専門の主治医や訪問看護ステーションには、歯科往診の受け入れを始めたことを知らせておくと、患者紹介を受けやすくなる。多職種連携を円滑にするために、診療情報提供書や報告書の書式も準備しておくと良い。訪問診療開始後は、ケアマネや主治医に対し定期的にフィードバック(例: 月1回程度、口腔内の所見やケア状況の簡単なレポート送付)を行えば、信頼関係が深まり紹介循環が生まれていく。

【ステップ5】試行と評価、改善

実際に訪問診療を開始したら、最初の数か月は試行期間と位置づける。無理のない範囲で症例を経験し、都度院内で振り返りを行う。訪問件数が増えてきたら、スケジュールや担当振り分けに無理がないか、収支は見込み通りかをチェックする。スタッフの疲弊や外来患者からの苦情が出ていないかも確認する。もし当初計画にズレが生じたら、訪問日数を増減したりエリアを再設定するなど改善策を講じる。患者や家族から直接フィードバックをもらうことも大切だ。「寝たきりの母が久々に口の中がさっぱりして喜んでいる」など肯定的な声はスタッフの励みになるし、「治療内容をもっと詳しく知りたい」といった要望は説明ツールの充実につながる。こうしたPDCAサイクルを回しながら、徐々に自院のスタイルに合った訪問歯科診療の形を固めていく。うまく軌道に乗れば、在宅療養中の患者にとってなくてはならない存在となり、社会的な意義と経営的成果の両面が実現できるだろう。

参考文献・出典

◆厚生労働省 保険局医療課 「訪問診療・往診における距離要件等の周知について」(事務連絡 2023年)
◆中央社会保険医療協議会 「訪問歯科診療の評価及び実態等に関する調査結果」(令和5年)
◆日本老年歯科医学会 「歯科訪問診療における感染予防策の指針 2023年版」
◆日本訪問歯科協会 「訪問歯科を始めるために」(公式サイト)
◆日本訪問歯科協会 「訪問歯科診療における新型コロナウイルス感染症への対策」(公式サイト)
◆猪越正直・水口俊介 「歯科訪問診療で知っておきたい全身疾患とその注意点」『日本補綴歯科学会誌』15巻2号, 2023年
◆ジョブメドレーアカデミー 「訪問歯科を始めるには?条件、必要書類、気をつけること」(2023年)
◆Dentis(メドレー)「訪問歯科で介護保険は使える?医療保険との違いや適用条件を解説」(2025年)