
歯科ユニット用の消毒液は?チェアの清掃の順番・方法を分かりやすく解説!
夕方の診療時間帯、次の患者が待合室で不安そうに待っている。しかし診療を終えた直後のユニットでは、アシスタントが慌ただしくチェアやライトを拭き清めている最中である。毎回これほど徹底して清拭する必要があるのだろうか、もっと効率の良い方法や適切な消毒液の選択があるのではないか。開業歯科医であるあなたも、一度はそう考えたことがあるかもしれない。院内感染予防の重要性は言うまでもないが、現実には消毒の手間によるチェアタイムの延長やコスト、ユニットの材質劣化など、臨床現場で悩ましい問題が生じる。本記事では、歯科ユニットの清掃・消毒に関する 臨床的な根拠と具体的な実践法 を示すとともに、医院経営の視点から効率化やリスク管理の考え方を解説する。明日から実践できる感染対策の工夫を提案し、安全・安心な診療環境づくりを支援する。
要点の早見表
項目 | ポイント |
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使用すべき消毒液の種類 | 患者ごとの清拭には中水準の消毒薬を用いる。例として、次亜塩素酸ナトリウム(0.1%・有効塩素1000ppm)や消毒用エタノール(70vol%前後)などが挙げられる。次亜塩素酸ナトリウムはウイルスを含め広範な殺菌力を持ち第一選択とされるし血液汚染部位には不適である。また歯科ユニットの多くは合成皮革製であり、エタノールによる変色・硬化リスクがあるため注意が必要である。金属腐食や漂白が懸念される次亜塩素酸の代替として、ペルオキソー硫酸水素カリウムなど塩素系洗浄剤(例:粉末剤ルビスタ)も用いられる。これらは塩素臭が少なく器材への影響も小さい利点がある。 |
チェア清掃・消毒の標準手順 | 患者ごとの清拭: バリアフィルムで覆えないユニットの接触面は、患者ごとに必ず清拭消毒する。ライトハンドル・操作パネル・ハンドピースのホースやスイッチ類・ヘッドレスト・バキューム持ち手等、高頻度に触れる部分は特に重点的に行う。汚染が目視できる場合は、まず洗浄剤で汚れを除去し、その後0.1%次亜塩素酸などで二度拭きする(二度拭きにより有機物残存による不活化を補完)。血液や唾液が付着した部分は0.5%次亜塩素酸(5000ppm)への濃度強化により30秒以内で各種ウイルスを不活化できたとの報告もあり。治療後に消毒液を自動注入するシステム搭載機では細菌数の恒常的低減が報告されており、機能があれば活用したい。一日の終わりの清掃: スピットン(痰吐器)はアルジネートや血液などを流水で洗い流し、内部と周囲を洗剤で洗浄後、消毒薬で拭き上げる。バキュームライン(吸引管)には酵素剤や次亜塩素酸系の専用クリーナーを吸引させ、残液は翌朝まで作用させてから水で流す。ユニット全体の椅子部分や床も汚れがあれば洗浄・除菌し、一日一度は拭き掃除を行う。 |
感染リスクと安全管理 | ユニット周辺はスタンダードプリコーションの観点で非観血的処置でも常に消毒すべき臨床接触面である。適切な清拭により肝炎ウイルスなど院内感染リスクを大幅に低減できる清拭により肝炎ウイルスなど院内感染リスクを大幅に低減できる。清掃時はディスポ手袋・マスク・アイウェアを着用し、自身の曝露防止と薬剤による皮膚障害にも備える。強力な薬剤ほど金属腐食や器材劣化を招きやすく、機器メーカー推奨の方法に従うことが安全面・保証面で重要である。薬液は希釈濃度や使用期限を厳守し、混合誤りにも注意する(例:塩素系と酸性洗剤の混合は有害ガス発生の危険)。患者への説明は、消毒作業による治療間隔の遅れについて事前に断りを入れ、感染対策徹底のためである旨を伝えると理解が得られやすい。院内掲示やWebサイトで具体的な取り組みを公開し、患者の安心感につなげる取り組みも有効である。 |
作業効率への影響 | 患者ごと清拭に要する時間は約2~3分程度が目安である。バリアの使用により清掃時間を短縮できるケースもある(たとえばライトスイッチ類をフィルムで覆えば剥がすだけで交換可能)が、その貼付剥離の手間やコストとのバランスを考慮する。清掃を怠った場合のリスク(感染事故による診療停止、患者離れ)の重大性を踏まえれば、必要最小限の手間とコストで最大の予防効果を上げる運用が求められる。例えばユニットを複数台稼働して交互に滅菌清掃時間を確保したり、アシスタントが患者退室直後に清拭を開始し次患者診療開始までに終える段取りを徹底するといった工夫が効率化につながる。院長は清掃プロトコルの順守状況を定期的に確認し、スタッフの負担が偏らないよう配置や休憩を配慮することも重要である。 |
費用対効果と制度面 | 消毒液や使い捨てバリアのコストは患者1人あたり数十円程度と見積もられ、1日あたりではわずかな経費である。専用クリーナーや高機能設備(自動洗浄装置など)導入時も数万円〜数十万円規模の投資となるが、院内感染対策としてのリスクヘッジ効果はそれを上回る価値がある。事実、高齢者や有疾患患者が増える中で、歯科ユニット水の汚染が重篤感染症につながる例も報告されている。万一クラスター感染を起こせば休診による機会損失や社会的信用低下は計り知れない。一方、感染防止に関する取り組みは診療報酬上も評価対象である。歯科外来診療環境体制加算(現行では「外来診療感染対策加算」等に再編)は、一定の人員配置や滅菌設備など院内感染防止策が整備された歯科診療所で算定可能な制度である。実際に多くの医院が届出を行い加算を算定しており、感染対策の充実が収益面でもメリットをもたらすケースもある。さらに、清潔で安全な診療環境の提供は患者からの信頼獲得につながり、リコール率向上や紹介患者の増加、自費診療の選択率向上といった 長期的な経営メリット も期待できる。 |
理解を深めるための軸
臨床的な軸から見ると、歯科ユニット清掃・消毒は患者とスタッフの安全確保という最優先事項である。治療ごとにチェア周囲を消毒することで肝炎ウイルスや結核菌等の伝播リスクが大幅に減少し、結果的に偶発感染症の発生を未然に防ぐことができる。特に外科処置や全身疾患を有する患者では、ユニットの清潔度が術後感染や二次感染の有無を左右しかねない。日常の診療においても、例えばハンドピースの逆流防止や給水ラインの殺菌処理などと並び、チェア表面の確実な消毒はスタンダードプリコーションの基本として位置付けられる。臨床的に見過ごしがちな給水ライン内の細菌増殖も、日次の消毒作業によって水質を管理することで患者への曝露を防げる。このように、清掃・消毒はエビデンスに裏付けられた患者有益性を持つ行為である。
一方で経営的な軸から捉えると、ユニット清掃にかかる時間・コストや機器への影響にも目を向ける必要がある。毎患者の清拭に数分を要すれば、一日に処置できる患者数は減少し得る。また強力な薬剤の頻用によるチェア表皮や金属部の劣化は、機器寿命の短縮や修理費増大につながる可能性がある。人的リソースの面でも、スタッフに過度の消毒業務負担がかかれば疲弊やモチベーション低下を招き、ひいては業務ミスを誘発しかねない。経営者としては、感染リスク低減と診療効率・費用とのバランス点を見極め、最適な対策レベルを判断することが求められる。例えば、清拭に加えてバリアを適所に併用することで消毒時間の短縮と表面保護を図る、あるいはユニットを増設し清掃時間のロスをカバーする投資判断も経営的視点では検討材料となる。逆に、省力化のみを優先し清掃頻度を落とせば院内感染リスクが高まり、長期的には訴訟リスクや医院の信用失墜という経営上の大打撃を受ける恐れがある。経営マインドで注意すべきは、感染対策は収益直結こそしないが「攻めの投資」であり医院ブランディングの一部である点である。安全安心に配慮した医院との評判は患者満足度を高め、新規患者の増加や紹介促進につながるため、中長期で収益に好影響を及ぼす。
以上のように臨床と経営、両面の軸からユニット清掃を捉えると、一見トレードオフに見える「安全性」と「効率性」をいかに両立させるかが課題となる。本記事の後半では、この両軸を統合する具体的な方策として、消毒液の選択根拠や清掃プロトコル構築のポイント、そして運用上の工夫について深掘りする。適切な感染対策は患者のためであると同時に医院のためでもあることを踏まえ、最適解を見いだしていただきたい。
代表的な適応と禁忌の整理
歯科ユニット周辺のどの部分を、どのような場面で消毒すべきかをまず整理する。基本的にユニット本体や付属機器の表面は、患者の皮膚・粘膜や術者の手袋が触れる「臨床的接触面」に該当する。照明の取手、操作パネル、ハンドピース台、バキューム操作部、チェアのヘッドレストやアームレストなどが典型例である。これらは患者ごとに水準消毒薬での清拭が推奨される適応部位である中水準消毒薬での清拭が推奨される適応部位である。中水準消毒薬とは一般にエタノールや次亜塩素酸ナトリウム、フェノール系など栄養型細菌からエンベロープウイルス・結核菌までを不活化できる薬剤を指す。具体的な製品名では消毒用エタノール(約70%)、次亜塩素酸ナトリウム液(原液濃度5〜6%を適宜希釈、商品例:ピューラックスⓇ等)、グルコン酸クロルヘキシジン(4%製剤は手指消毒用)やグルタラール製剤(高水準薬剤のため機器表面用途には通常用いない)などが知られる。ユニット表面には速乾性が求められるため、アルコール製剤が現場で多用される傾向にある。しかし前述の通りエタノール類は血液など有機物の上では蛋白凝固により殺菌効果が減弱する。そのため目に見える汚染がある場合にはアルコール単独では不十分であり、予め洗浄を行うか次亜塩素酸等の使用が望ましい。
一方で、禁忌的な行為として避けるべきなのは、消毒薬の誤用や材質不適合な処置である。例えばユニットのレザー部分に高頻度のアルコール噴霧を行うと、表面の艶や色が徐々に損なわれ、ひび割れを誘発することがある。従って、ユニット購入時に示された清掃マニュアルに反する薬剤使用は控えるのが無難である。またグルタラール製剤(いわゆるグルタルアルデヒド、高水準消毒薬)や過酢酸などは強力であるが腐食性・刺激性が高く、機器表面の消毒には通常用いない。次亜塩素酸ナトリウムも濃度が高すぎると金属やプラスチックを痛めるため、通常は0.1%程度までの低濃度に留めるべきである。塩素系漂白剤を使用する際には、酸性の洗剤や尿石除去剤と絶対に混合しないことも重要だ。混合により有毒な塩素ガスが発生し、過去には歯科医院で清掃中にこれが原因の中毒事故が起きた例も報告されている。さらに禁忌として患者に対する不適切な消毒情報の提供が挙げられる。例えば「当院は完全無菌です」「絶対に感染しません」など最大級・断定的な表現は日本の医療広告ガイドラインでも禁止されており、事実に反する誇張となる。患者への説明では、安全策を講じていることは伝えつつも「100%の安全はあり得ないが標準的に可能な限りの対策をしている」という 誠実かつ正確な姿勢 を示すべきである。
標準的なユニット清掃手順と品質確保の要点
患者退室から次の患者受け入れまでの短時間で、如何に効果的な清掃消毒を行うか――その手順を標準化しておくことは、スタッフ全員の理解と実践を容易にするために不可欠である。まず患者ごとのユニット清拭は、基本的に「汚染度の低い場所から高い場所へ」順に行う原則とする。これは汚れを広げないための配慮で、高頻度接触部位とはいえ表面バリアで覆われ比較的汚染が少ない部分から始め、血液や唾液が付着した可能性のある部位を後に回すという意味である。具体的な順番の一例としては、(1)手袋・マスク着用の上、消毒用ワイプに薬液(例:0.1%次亜塩素酸 or 消毒用エタノール)を含ませる。次に(2)ヘッドレストを拭き、(3)ライトの操作ハンドル、(4)ユニットの操作パネルや3ウェイシリンジのグリップ、(5)バキュームハンドルおよび排唾管ホルダーの順で清拭する。必要に応じて、同一面で使って汚れたワイプは適宜面を変え、極端に汚れたら交換する。これで主要な臨床接触面の消毒は概ね完了する。患者ごとの清掃では通常、チェア全体(座面やアーム)は毎回は拭かないが、肉眼的に汚染があれば速やかに清拭する。特に小児や外科処置後など、椅子や床に血液・唾液が飛散した場合は見逃さず処理する。チェア座面自体は非観血的なノンクリティカル表面であり本来消毒適応ではないが、患者が直接触れる以上清潔に保つ配慮が必要である。汚れが目立つ時は中性洗剤で拭き取った後、低水準の除菌剤(塩化ベンザルコニウム0.1%など)を用いて清拭すると良い。以上を終えたら最後にチェア周囲の確認を行う。ライトやテーブルに拭き残しの痕跡がないか、アルジネート片や歯の切削片など見落としがちな汚染物が落ちていないかをチェックする。患者を呼び入れる前にアルコール綿で軽く二度拭きし直すといった習慣をつける医院もあり、見た目の清潔感まで行き届いた環境整備が理想である。
各スタッフが清掃手順を確実に実行できるよう、標準作業書(マニュアル)やチェックリストを整備することが品質確保の近道となる。例えばユニット毎に「消毒済」の札を用意し、所定の部位清拭が完了したら札を掲示するルールにするといった簡易な方法でも、清拭忘れを防止できる。また院内で定期的に感染対策ミーティングを持ち、清掃方法の再確認や手順のアップデートを行うのも有効だ。院長や歯科衛生士リーダーは、スタッフが十分な知識を持っているかを折に触れて確認し、例えば新人スタッフにはOJTで清掃の実演指導を徹底する。さらに高度な品質管理として、環境清浄度のモニタリングを検討してもよい。ATP拭き取り検査や細菌培養検査によって、ユニット表面や給水の微生物数を定期測定し基準内に収まっているかチェックする方法である。日本ではまだ一般的でないが、海外では歯科ユニット水の基準(水道水並みの細菌数)を設けて監視する例もある。自院で基準を自主設定し、万一基準を超える細菌数が検出された場合は清掃手順を見直す、といったPDCAサイクルを導入すれば鬼に金棒である。小規模医院では難しくとも、清掃品質を数値で捉える視点を持つことはスタッフの意識向上につながるだろう。
感染防止の安全管理と患者への説明
歯科ユニット清掃における安全管理は二方向に考える必要がある。一つ目はスタッフ自身の安全であり、二つ目が患者に対する安全と安心感である。まずスタッフ側の安全対策から述べる。ユニット清掃では血液・唾液・飛沫に触れる機会があるため、個人防護具(PPE)の着用が基本となる。使い捨て手袋は患者毎に交換し、清掃時にも新しい手袋で臨む(患者治療中のグローブのまま環境清拭に移行しない)。必要に応じ、マスクやアイシールド・ゴーグルも装着して薬液の飛沫や埃から粘膜を保護する。アルコールや塩素剤は揮発した成分を吸い込むと気分不良を起こすこともあり、可能なら窓を開けるか換気を行いながら作業したい。スタッフに皮膚疾患(手荒れ等)を抱える者がいる場合、消毒薬との接触で悪化する恐れがあるため、手袋インナーや保湿剤の使用を許可するなど配慮する。薬液の希釈作業にも危険が潜む。とりわけ次亜塩素酸ナトリウム液は高濃度では皮膚腐食性があり、原液の取り扱いには細心の注意を要する。希釈中に飛沫が目に入った例では角膜障害を起こした事例もあるため、必要に応じゴーグルとマスクに加えフェイスシールドを着用する。容器のラベル表示や希釈濃度の管理も怠らないようにし、誤って高濃度のまま使用するといったミスを防ぐ。医院全体で使用する消毒薬剤の在庫・期限管理も責任者を決めて行うとよい。古い薬剤は効果が落ちていたり変質して機器に悪影響を及ぼす場合もある。以上のようなスタッフの安全確保策を講じ、万全の体制で消毒業務に臨むことが医院全体の職業感染リスク低減につながる。
次に患者に対する安全と説明責任について考える。患者から見れば、診療ユニットや器具が清潔に管理されているかどうかは医院選択の大きな判断基準となる。実際に「○○歯科はグローブを患者ごとに替えていないようだ」「ユニットを拭かずに次の人を通していた」等の噂が広まれば、患者離れを引き起こしかねない。逆に言えば、適切な感染対策をしっかり行っていることを患者に可視化する工夫が望ましい。例えば患者入室前のチェア消毒作業をあえて患者の目に触れる形で行う、使い捨てエプロンやコップを見えるところで交換する、といった演出は患者の安心感につながる。治療開始前に「ただいまユニットを消毒しておりますので少々お待ちください」など一言説明するのも良いだろう。昨今は新型コロナウイルス流行もあり、患者側の衛生意識も高まっている。受付や待合に当院の感染防止対策を掲示したりホームページで写真付き紹介することで、医院の信頼性アピールにもなる。ただし前述のように「絶対安全」「完全殺菌」などの表現は避け、事実に即した範囲で丁寧に説明する。例えば「当院では患者様ごとに手袋・器具を交換し、ユニットや周辺機器はアルコール等で消毒しています。少しお待たせすることもありますが、安全のためにご理解ください」のように具体策と協力依頼をセットで伝えるとよい。治療同意書や初診の問診票とともに、院内感染予防に関する取り組みを文章で渡すのも有効である。こうした患者への情報提供は、医療機関としての説明責任でもありトラブル予防策にもなる。万一治療後に患者が何らかの感染症を発症した際、「院内感染ではないか」と疑義を持たれることもあり得る。その際に日頃からの対策を示す記録や説明があれば、患者との信頼関係を維持し冷静に対処できるだろう。
消毒・清掃にかかる費用と経営上の視点
院内感染対策は一見コストセンターに思えるが、適切な投資が将来的な収益防衛につながるという視点が重要である。まず直接的な費用として、ユニット消毒に用いる消耗品コストを試算する。消毒用エタノールは500mLボトルで数百円、0.1%次亜塩素酸ナトリウム液は原液からの希釈で1Lあたり数十円程度と安価である。使い捨てワイプやバリアフィルムも1枚数円〜十数円の単価である。仮に患者1人の診療後にワイプ1枚(10円)、エタノール10mL(5円相当)、バリアフィルム数枚(20円)を使用するとしても、1人あたり数十円の負担増でしかない。1日20人診療でも数百円〜千円程度で、安全が買えるなら安いものだと言える。年間で見積もっても消毒関連の材料費は診療収入の数パーセントにも満たないだろう。むしろ人的コストのほうが無視できない。スタッフが消毒に割く時間と労力は他の生産的業務(診療アシストや滅菌作業など)に使えたはずのリソースである。しかし感染対策は医療機関の必須業務であり、ここに人件費を投じるのは適正な経費と言える。仮に清掃簡略化のために人員削減や手順短縮を行い院内感染が発生すれば、その対応に要する人件費や休診補償は遥かに大きな損失となる。「感染対策にかける人件費 = 保険」と捉え、必要十分なリソース配分を行うのが経営的に賢明である。
次に、設備投資や制度活用の観点を述べる。近年、歯科ユニット自体に給水ライン除菌機能(過酸化水素や次亜塩素酸の自動注入)を備える機種が登場している。既存ユニットにも後付けできる装置(例:「ポセイドン」という次亜塩素酸水生成・供給システム)が市販されており、初期投資は必要だが日常の手作業を省力化できる。これらの装置導入費用は数十万円規模だが、医院の規模や患者数が多い場合には十分回収可能な投資となり得る。実際、水ラインの微生物検査などを外部委託し管理するケースでは年間契約で費用が発生するが、装置導入により検査頻度や薬液購入費を削減できる場合もある。また、本記事でも触れた歯科外来診療環境体制加算(外来環加算)は感染防止策を充実させた施設が算定できるもので、初診や再診ごとに数十点の報酬加算が認められる。たとえば初診時に30点加算なら3割負担患者で約90円の増収となる。一見小さいが塵も積もればで、仮に月初診50人なら月4500円、年間5万円超となる。感染対策そのもので利益を得る考え方は本末転倒だが、制度を上手に活用してコスト回収を図ることも経営戦略である。なお2024年度の診療報酬改定で外来環加算は「歯科外来診療感染対策加算」等に再編され、人員要件の厳格化と評価点数の見直しが行われている。具体的には複数歯科医師や感染制御研修修了者の配置、空気清浄装置の設置などハードルが高くなった反面、算定点数も上がっているケースがある。自院の状況を踏まえて該当要件を満たせるなら、届出を積極的に検討してよいだろう。総じて、感染対策への投資は医院経営の安定と発展に資する自己投資であり、単なるコスト増ではなく未来への備えと考えるべきである。
消毒業務の外部委託・省力化の選択肢
院内感染対策は院内で完結させるのが原則だが、状況によっては一部業務の外部委託や省力化ツールの導入を検討できる。まず清掃業務の委託について言えば、診療後のユニットやフロア清掃を清掃専門業者に委ねる医院もある。日々の患者ごとの清拭は歯科スタッフが担う必要があるが、診療終了後の床清掃・ゴミ廃棄・ユニット全体の清拭などは外部の清掃員が行う形である。特にスタッフ数が限られる小規模医院や、夜間に徹底的な清掃消毒を行いたい場合に有効である。費用対効果の判断となるが、委託費用とスタッフ残業代や負担軽減を天秤にかけ、メリットが上回れば導入してもよいだろう。一方で日中の患者間清拭は委託できないため、院内体制の工夫が求められる。たとえばユニット台数に対し十分な人員を配置し、治療終了と同時に清掃担当スタッフが入るオペレーションを組むといった工夫だ。チェアを2台以上用い、交互に患者を診る「スイッチシステム」も有効である。一方の清掃中に他方で診療を進められるため待ち時間を減らせる。これはユニット増設やスタッフ増員といった経営資源の投入を意味するが、患者満足度や安全性向上というリターンがある投資と考えられる。
機器や器材の省力化も昨今注目されている。既述のユニット給水自動除菌装置のほか、使い捨て可能な器具・部品の活用もその一つだ。たとえばデンタルチェアのヘッドレストカバーやライトハンドルカバーをディスポーザブルとし、毎回交換する医院もある。これにより清拭作業を飛ばせる部位が出て、結果として省力化につながる。また近年は除菌効果付きのユニット用クリーナーも市販されている。アルコールや界面活性剤、両性石鹸などを組み合わせた泡スプレーで、汚れの洗浄と除菌を同時に行える製品である。ユニットのレザーやプラスチックを傷めにくい調整がされており、メーカー純正品も存在する。こうした専用品を使うことで清掃工程をワンステップ減らす(洗剤拭き→消毒拭きの二度拭きを一度で済ませる等)ことが可能となる。もちろん薬剤残留を防ぐため拭き取りは必要だが、水拭き不要の揮発成分中心なら乾燥を待たずに次工程へ進める。さらに将来的には、紫外線照射や過酸化水素ミストによる環境自動消毒装置も実用化が期待される。現在でも手術室向けの天井設置型UV照射器などはあるが、歯科ユニット周囲に応用するには課題が残る。とはいえ技術進歩により、いずれ夜間無人でユニット全体を除菌してくれるロボットや、AIによる清掃チェックシステムなどが登場するかもしれない。現時点では、ヒトの手と目による管理が最も確実であることを忘れず、省力化ツールはあくまで補助と位置付けて導入すると良いだろう。
ユニット清掃でよくある失敗と回避策
多くの医院で院内感染対策は徹底されているが、現場ではいくつかの落とし穴も報告されている。まず頻繁に起こりがちなのが、清拭のやり残しや順序ミスである。忙しい日程の中、ついライトの持ち手を拭き忘れたまま次の患者を通してしまったり、汚れたグローブのまま電話を取りその電話機を消毒し忘れる、といったヒューマンエラーがある。これを回避するには先述の定型手順の順守とチェック体制が鍵となる。清掃完了の目印を付ける仕組みや、声出し確認(「ライトOK、パネルOK…」)などのダブルチェックを取り入れてもよい。次に薬液の濃度ミスも失敗例として報告される。特に次亜塩素酸ナトリウム液は希釈方法を誤ると効果不足や機器損傷を招く。原液を適当に薄めて使っていたケースでは、実際には意図より桁違いに低濃度になっており、院内感染の原因になったという指摘もある。これを避けるには、希釈手順をマニュアル化し軽量カップやスポイト等で正確に測る習慣をつける。濃度試験紙で作成液の有効塩素濃度を確認するのも確実だ。また逆に高濃度すぎる使用も危険である。スタッフが独自の判断で「濃い方が効く」と原液に近い濃度で清拭し、ユニットの金属部が腐食したり患者の衣服に漂白シミを作ってしまった例もある。独断の手順変更を許さない組織文化を作り、何か改善提案があれば院長に相談してから全員で変更するといったルールにすると良い。
機器の故障や劣化も、清掃方法の誤りから生じることがある。例えばユニットのフットペダルに直接スプレーした薬液が内部基盤に浸透し、誤作動や錆による故障を起こすケースがある。電気系統を含む機器類は基本的に布やワイプへ薬剤を染み込ませた上で拭くようにし、スプレー噴射は避けるのが原則である。またチェア張りのシートも、清掃後に水分が残っているとそこからカビが発生したり、ひび割れ部に菌が繁殖する例がある。終業後は換気を兼ねてユニットを乾燥させ、可能なら週末にシートを外して全体を清掃し陰干しするなど、定期的なメンテナンスを行いたい。なおシートやクッションに破損が生じたまま使い続けるのは感染対策上望ましくない。破れ目に汚染物が染み込み清掃不能になるため、早めに補修・交換することが肝要である。さらにスタッフ教育上の失敗として、表面的な作業手順だけを教えて目的を共有していない場合が挙げられる。「何のために消毒するか」を理解していないと、手順が増えると現場から抵抗が出ることもある。単なるマニュアル遵守の押し付けではなく、院内感染の事例やリスクを示しながら考えさせる教育を行うことが重要だ。例えば過去の院内感染事故のケーススタディを朝礼で紹介し、自院で起こり得るとしたらどの部分か話し合う、といった取り組みである。スタッフ一人ひとりが当事者意識を持てれば、清掃・消毒は「やらされ仕事」から「患者と自分を守る仕事」へと意識が転換し、結果としてヒューマンエラーの減少につながる。
導入判断のロードマップ
既にユニットの清掃消毒は日常診療に組み込まれているが、更にそれを強化・改善する場合や、新たな設備導入を検討する場合には体系立てた判断プロセスを踏むことが望ましい。以下に、開業医が院内感染対策を見直す際のロードマップを示す。まず現状評価(Step 1)として、自院の感染対策レベルを客観的に把握する。具体的には患者毎のユニット清拭がどこまで行われているか、スタッフ全員が正しい手順を理解しているか、器具の滅菌やディスポ化の状況、院内感染のヒヤリハット報告は過去にあったか等をチェックする。併せて問題点の洗い出し(Step 2)も行う。例えば「忙しいときに清掃が雑になる」「水ライン管理まで手が回っていない」「清掃に時間がかかり患者待ちが発生している」など、弱点をリストアップする。次に情報収集と目標設定(Step 3)である。自院の弱点を踏まえ、強化すべき対策(例:給水除菌装置の導入、清掃手順の簡素化、スタッフ教育プログラム導入など)について情報を集める。メーカーの担当者や同業の先生から話を聞く、学会セミナーや関連書籍を参照すると最新事例が得られる。また目標水準も定める。例えば「全患者に外来環加算レベルの感染対策を提供する」「スタッフ清掃トレーニング合格率100%」など具体的なゴールを設定する。続いて計画立案(Step 4)である。どの対策をいつまでに、いくらの予算で行うか計画化する。優先度の高いもの(緊急性のある問題への対処)は即時実行し、費用や工数が大きいもの(ユニット買い替え等)は中長期計画に組み込む。計画には必ず院長のコミットメントを明示する。例えば設備投資が必要なら資金手当てをする意思、スタッフ研修なら院長自ら主導する意思を示すことが大切だ。
計画ができたら実行(Step 5)に移す。新しい清掃プロトコルを導入するなら朝礼やミーティングで周知し、初めのうちは院長または担当者が現場に付き添って確実に遂行されるよう指導する。設備導入時はメーカーからの使用方法レクチャーをスタッフ全員で受け、取扱説明書を共有しておく。実行段階で気を付けるのは、現場の声を取り入れることである。机上で完璧な計画と思われても、診療現場では想定外の支障が出ることも多い。例えば「新しい消毒剤は匂いが強く患者から苦情が出た」「自動洗浄装置を回すと診療中に音が気になる」等、小さな不具合も放置せず改善策を講じる。場合によっては代替案(別の薬剤に変更、運用時間帯の工夫など)を柔軟に検討する。フォローアップ(Step 6)も忘れずに行いたい。実行した対策の効果を評価するため、Step 1で測定した指標を再度確認する。例えば清掃漏れの報告件数が減ったか、患者アンケートで「清潔感」の評価が向上したか、スタッフから改善提案が出るようになったか等を見て、目標達成度をチェックする。達成できていなければ原因を分析し、次なる対策(再教育や手順変更)に繋げる。こうしたPDCAサイクルを回すことで、院内感染対策は継続的に改善していく。医院ごとに事情は異なるが、「現状評価」→「課題抽出」→「計画」→「実行」→「効果検証」という一連の流れは共通である。ロードマップに沿って対策を講じることで、場当たり的ではない継続的な安全文化が醸成されていくだろう。
出典情報
- 【厚生労働省】一般歯科診療時の院内感染対策に係る指針(第2版) (平成26年3月) 【3】【19】
- 【Medience】「歯科用ユニットの清拭について」歯科感染対策情報ブログ (2022年更新) 【4】
- 【松風】感染予防対策サイト「器具・器材の洗浄・消毒」【5】
- 【DHマネジメント協会】「これで完璧!ユニット消毒の手順」 (PDF, 2020年) 【8】【9】【14】
- 【感染制御学会誌】歯科用ユニット給水系のレジオネラ感染リスクに関する報告 (2018年) 【17】
- 【算定奉行】「外感染(歯科外来診療感染対策加算)の点数や算定要件は?」 (2023年) 【16】