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クラレの歯科用セメント「SAルーティング」の使い方や成分、効果時間や特徴を解説

クラレの歯科用セメント「SAルーティング」の使い方や成分、効果時間や特徴を解説

最終更新日

誰もが一度は経験するであろうクラウンの再装着や、接着操作の煩雑さによるタイムロス。患者から「前よりしみる」と言われて冷や汗をかいたことはないだろうか。日々の補綴治療で、「もっと簡便な手順で確実に装着できれば」と感じる場面は多い。特にCAD/CAM冠やジルコニア修復が一般的になり、従来のセメントでは対応が難しい素材も増えている。本稿では、そんな臨床現場の悩みを背景に登場したセルフアドヒーシブ型レジンセメント「SAルーティング® Multi」にスポットを当てる。臨床的なヒントと医院経営の視点を交え、使い方から成分、硬化時間、特徴まで詳細に解説していく。忙しい保険診療メインの先生から、高付加価値の自費診療を志向する先生まで、本製品がどのように日々の診療を変え得るのか考えてみたい。

製品の概要(正式名称・適応範囲など)

クラレノリタケデンタル株式会社の「SAルーティング® Multi」は、歯科用接着用レジンセメントであり、補綴物の合着(永久装着)に用いる二ペースト型のセルフアドヒーシブセメントである。医療機器分類では管理医療機器に該当し、医療機器認証番号は230ABBZX00096000である。2008年に初代の「クリアフィル SAルーティング」が発売されて以来、使いやすさと接着性能の向上を重ね、現行の「SAルーティング Multi」はその最新版にあたる。正式製品名に冠されている「SA」は「Self-Adhesive(セルフアドヒーシブ)」を意味し、その名の通り前処理(プライマー塗布)なしで歯質や補綴装置に接着できる点が最大の特徴である。

適応範囲は広く、一般的なクラウン・ブリッジ・インレー・アンレーといった補綴装置の永久接着に使用できる。対象となる材料も、多様な素材に対応可能だ。金属冠や金属補綴(貴金属・非貴金属合金)、ジルコニアやアルミナなどの酸化物セラミックス、さらには保険適用が拡大したCAD/CAMレジン冠などレジン系材料、そしてガラスセラミックスや陶材(いわゆるポーセレン)に至るまで、あらゆる材質の補綴物を支台歯へプライマー処理なしで接着できるよう設計されている。ただし、ラミネートベニアなど極めて薄く高い審美性が要求される修復物については、本製品でも対応は可能であるものの、専用のベニア用レジンセメント(例:「パナビア® ベニア LC」)が推奨されるケースもある。本製品はデュアルキュア型(光・化学重合両対応)であり、光が届きにくい金属修復や厚みのある補綴物の下でも確実に硬化する。一方で硬化開始までの操作余裕時間が限られるため、適応症例では補綴物の試適・調整を済ませたうえで臨むことが重要となる。

主要スペックと臨床上の意味

本製品の主要スペックを紐解くと、臨床現場での扱いやすさに直結する工夫が随所に見られる。まず、接着メカニズムの中核にあるのがクラレ独自の機能性モノマー「MDP」である。MDPはリン酸エステル基を有するモノマーで、歯質中のハイドロキシアパタイトと化学結合を形成する。これにより、本製品はエナメル質・象牙質に対しプライマー無しで高い接着性を示す。実際、初代SAルーティング発売当初より「高い水準の接着性モノマーMDPを高濃度配合」と紹介されており、現在のMultiにもこの思想が受け継がれている。

加えて「SAルーティング Multi」最大の革新点として、ペースト中にシランカップリング剤を内蔵したことが挙げられる。クラレ独自開発の長鎖シラン(Long Carbon-chain Silane:LCSi)を配合することで、陶材やガラスを含む材料にもプライマー(シラン処理)を別途行うことなく接着できる。従来、セラミック修復を接着する際は、補綴物側にシランカップリング剤を塗布するのが常識であった。しかし本製品では、練和されたペースト中でシラン剤が安定して存在するよう組成が工夫されており、ガラス系材料との化学結合をセメント自身が担う。例えばリチウムジシリケートやレジン含有陶材のクラウンにも、そのまま適合させて余剰セメントを除去し重合させれば接着が完了する。この技術により、補綴物側・支台歯側ともに前処理を省略でき、臨床手順の簡略化とタイムロス低減に直結している。

物理的スペックの面でも、臨床に有用な値が確保されている。固まったセメント層の被膜厚さは約16µmで、適切に合着できればごく薄い膜厚で均一に広がる。またX線造影性も付与されており、硬化後はエックス線写真上で明瞭に描出される。これは、セメント残留を見逃さないという点で特にインプラント周囲や歯肉縁下の清掃確認に有用である。

重合特性としては、デュアルキュア(自己重合+光重合)型であるため、光照射が可能な部位では積極的に光を当てて硬化を促進できる。一方、金属修復物下やポスト孔内など光の届かない場所でも、化学重合によって確実に硬化が完了する設計である。硬化時間の目安は環境温度に依存するが、口腔内ではおおよそ5分程度で実用強度に達する。例えば支台歯にセット後、光を一切当てなくとも約5分間静置すれば最終硬化する。ただし、多くの場合は一部光照射による「タックキュア」が推奨される。補綴物圧接後に各辺1〜2秒ずつ光を当てると、余剰セメントが一時的にゲル状に半硬化し、塊状に剥離除去できる。その後、完全に硬化させるため露出部には追加で十分な光照射を行うか、光が当てられない部位はそのまま数分間保持する。余剰セメントの除去タイミングを光重合・化学重合のいずれでも選択可能な点は、本製品の扱いやすさの一つである。実際、タックキュアで一塊に除去できる硬さまでの仮硬化時間は約2~5秒程度と短く、効率的に辺縁部を清掃できる。一方で、長時間放置すると完全硬化して除去が困難になるため、術者は時間管理に注意が必要である。

互換性と運用方法

「SAルーティング Multi」は単体で完結する接着システムであり、基本的に他のプライマーやボンディング剤を併用する必要はない。前述の通り、歯質側・補綴物側とも本品のみで処理が完了するよう設計されている。これは院内の材料管理や在庫コストの削減にもつながる。たとえば、ジルコニア用プライマーやセラミックス用シランなど個別のボトルを用意しなくても済むため、複数の材料の使用期限を気にする必要がない。また、光重合器については市販の高出力LEDライトで十分硬化可能である。ハロゲンライトしかない診療所でも化学重合で硬化するため支障はないが、光源の違いにより照射時間は適宜調整する(高出力LEDなら短時間で可、ハロゲンではやや長めに照射するなど)。

他社製品や他の工程との互換性という観点では、前処理剤やクリーニング剤との組み合わせが挙げられる。支台歯や補綴物表面の汚染を確実に除去するために、市販の口腔内用クリーナー(例:クラレの「カタナ® クリーナー」)で処理してから本製品を適用すると、より安定した接着性が得られる。また、どうしても懸念がある症例、たとえば極端に短い支台歯やエナメル質面がほとんど残存しないケースでは、本製品と併用可能な歯科用ボンディング剤を前処理に用いることで接着力を強化できる。メーカーも推奨しているように、「クリアフィル® ユニバーサルボンド Quick」を支台歯側に塗布してエアブロー乾燥してからセメントを適用すれば、従来の接着性レジンセメントに近いプロトコルとなり、特にエナメル質接着強度の向上が期待できる。つまり、本製品は単独でも使えるが、必要に応じてプライマー併用型としても運用可能な柔軟性を持っている。

運用上のポイントとして、保管と取り扱いにも留意が必要だ。本製品はペーストAとペーストBの二剤式であり、オートミックス(自動練和)タイプとハンドミックス(手練和)タイプがラインナップされている。メーカーから出荷時には基本的に室温保管が可能だが、長期保存する場合は冷暗所(冷蔵庫等)に保管すると品質劣化を防げる。ただし、使用時には室温に戻すことが肝要である。冷えたペーストをそのまま練和すると結露による水分混入を招き、重合不良や接着阻害の原因となるためだ。特にハンドミックスの場合、練和紙や練和棒が冷えていると露滴が付着しやすいので注意したい。診療前に必要量のペーストを室温に置き戻しておくか、使用直前に軽く手で温めるなどの工夫で回避できる。

オートミックス型は専用シリンジに混和チップを装着し、トリガーを押すだけでペーストA・Bが自動的に計量混和されて吐出されるため便利である。ただし、混和チップ内で反応が開始するため作業時間が短くなる点に留意したい。メーカーQ&Aによれば、遮光下23℃での操作余裕時間はハンドミックスで約2分間、オートミックスでは約1分間とされている。オートミックスは手早く確実に充填できる反面、大きな補綴物を複数同時に扱う場面では時間との勝負になる。複数歯の同時装着にはハンドミックスを選ぶか、ユニットごとに順次練和・装着するよう計画すると良い。また、オートミックスでは1回の使用ごとにチップを使い捨てるため、無駄なく使うには1本のチップで可能な限り複数部位を連続充填する工夫も大切だ。一方、ハンドミックス型は自分で必要量のみ練和でき、混和ムラも少ない粘性設計になっている。ペーストA・Bを等量ずつ(同じ長さ)練和紙に出し、約10秒間練り混ぜるだけで調製できるので手間はかからない。ハンドミックスはチップ廃棄がない分経済的で、少量のインレー装着などではこちらが重宝するだろう。院内のスタッフ教育の観点でも、オートミックスは新人でも扱いやすくミスが起きにくい一方で、ハンドミックスは汎用テクニックとして習得しておく価値がある。両タイプの基本組成や接着性能は同一なので、診療スタイルに合わせて使い分ければ良い。

経営インパクト

医療材料としての「SAルーティング Multi」は、コストパフォーマンスが高いことも見逃せないポイントである。具体的な価格は仕入先や購入単位によって異なるが、メーカー希望小売価格で見るとオートミックスのバリューキット(4.6mL×3本入り)は約2万円強で提供されている。1本あたりの容量でおよそクラウン15本分程度の使用回数が見込まれており、単純計算で1歯あたり数百円程度の材料費になる。例えば保険診療の硬質レジン前装冠(補綴料数千円)に用いても、材料費率はごく一部であり経済的負担は小さい。一方で、同じクラウン脱離でも再装着に要する診療時間や患者対応のコストは見逃せない。一度の脱離トラブル対応に要する時間は15~30分にも及ぶことがあり、その間に本来なら他の患者を診療できたかもしれない機会損失を招く。また無償再装着となれば収益にも影響する。SAルーティング Multiのような接着性の高いレジンセメントを採用し脱離リスクを低減できれば、長期的には再治療の発生を抑え医院全体の効率化と収益安定に寄与すると言える。

時間短縮の観点でも、本製品導入の投資対効果は見逃せない。従来型の接着システム(例えばボンディング併用タイプのレジンセメント)では、エナメル質エッチング→プライマー塗布→ボンディング剤塗布・重合→セメント適用という複数ステップが必要であった。一連の操作に要する時間はケースによるが、おおむね5分前後のチェアタイム短縮が期待できる。1症例あたり5分の時短が年間100症例で累積すれば約500分、つまり約8時間強の削減となる計算である。その時間を他の診療に充てれば、新患の受け入れ枠を増やすことも可能だ。また、患者側にとっても装着にかかる待ち時間が短くなるため治療満足度の向上につながる。昨今は「できるだけ短時間で治療を終えたい」と望む患者も多く、スピーディかつ的確な処置は医院の評判アップにも貢献するだろう。

さらに、本製品は多用途に1本で対応できるため、在庫管理や無駄の削減にも一役買う。かつては「金属冠にはリン酸亜鉛セメント、レジン前装冠にはレジンモディファイドGI、オールセラミックにはレジンセメント+シラン」などと使い分け、それぞれ材料を揃える必要があった。しかしSAルーティング Multiならひとつの製品で保険の前装冠から自費のオールセラミックまで網羅できる。結果として余剰在庫や期限切れ廃棄を減らし、材料費の最適化につながる。実際、シリンジ1本で複数症例に対応できるため、小規模開業医でも在庫リスクを抑えて必要十分な補綴材を確保できるメリットがある。

ROI(投資対効果)の視点では、単価の安い消耗材料ゆえ直接的な「投資回収」というイメージは薄いかもしれない。しかし、間接的な効果を考えれば、トラブル削減による無償対応コストの減少、治療時間短縮による診療効率アップ、患者満足度向上によるリピート率増加といった形で着実にリターンをもたらす可能性がある。特に開業間もない医院では、スタッフ数やユニット台数に限りがある中で効率よく診療を回す必要がある。本製品の導入は、そうした診療フロー全体の最適化にも貢献すると言えるだろう。

使いこなしのポイント

新しいセメントを導入した際、初期段階での躓きやすいポイントを把握しておけば、スムーズに使いこなすことができる。SAルーティング Multiを最大限に活用するには、以下のような臨床上のコツや注意点に留意すると良い。

まず、術前の準備が成功の鍵となる。補綴物の試適はセメント練和前に完全に済ませ、隣接面のコンタクト調整や咬合調整も可能な範囲で終えておく。これは、セメントを練和してから余裕時間内に装着・位置調整まで完了させるための配慮である。特にオートミックス使用時は操作時間が短いので、「試適→調整→清掃→乾燥→練和→装着」の流れを事前にシミュレーションしておくと安心だ。また支台歯・補綴物双方の清掃と前処理も重要な下準備である。仮着材を使用していた場合は残渣を完全に除去し、必要に応じてアルコール綿や超音波洗浄で清潔にする。支台歯側は乾燥しすぎると術後に知覚過敏を起こす可能性があるため、エアブローは適度な乾燥(軽いスプレー程度)にとどめ、明らかな水滴や唾液を除去する程度で十分である。

混和・塗布の段取りにも工夫が要る。ハンドミックスでは事前にタイマーで10秒を計って練和練習しておくと、実際の臨床でもムラなく混ぜられるだろう。オートミックスではチップ装着後、最初の一押し分は空噴きして廃棄するのがお勧めだ。これはシリンジ内の偏りをなくし、完全に均等なA/Bペーストが出るようにするための措置である。その後、補綴物内面または支台歯面にペーストを塗布するが、どちらに塗るかは症例により選択できる。一般的にはクラウンやブリッジの場合、補綴物内面にペーストを充填して一気に被せる方が確実に隙間なく充満しやすい。一方、ポストなど深部では支台歯側(ポスト孔内)に直接ペーストを注入し、そのままポストを挿入する方法が有効だ。本製品にはポストセメント用の極細チップも付属しており、ルートカナル内への直接充填も容易に行える。

装着の際は、一度で確実に適合位置まで押し込むのがポイントだ。躊躇して中途半端な位置で止めてしまうと、余剰セメントが部分的に硬化して完全合着が妨げられる恐れがある。適合が不十分な場合でも、再度外してやり直すことは基本的にできないため(一旦硬化が始まると再適合は困難)、一発勝負の気持ちで臨む。この点は他のレジンセメントと共通の注意事項である。装着直後は指圧もしくはバイトスティックで圧接を維持し、すみやかに余剰セメントの除去に移る。上述のタックキュアを行う場合、光照射のタイミングに注意する。早すぎるとペーストがまだ軟らかく拭き取る際にのびてしまい、遅すぎると硬化が進みすぎて除去しづらくなる。感覚的にはセット後約30秒〜1分程度で一度ライトを当てると程よい硬さになることが多い。光を当てず化学硬化だけで進める場合は、セット後1~2分経過した時点で余剰分をスパチュラや探針で取り除く。辺縁部の清掃では、フロスを用いて隣接面のセメント除去も忘れずに。完全硬化後はセメント残留物がカチカチになり隣接面から取れなくなるため、軟らかいうちにフロスを通して除去しておくことが肝要だ。

硬化完了後の仕上げも重要である。レジンセメントは硬化収縮により辺縁にわずかな段差が生じる場合があるので、余剰除去後に微調整として研磨を行うことが望ましい。特に歯肉縁下への適用では、ポケット内に残った微少なフラッシュが炎症を引き起こさないよう、探針で確認し取り切る。また、硬化物は非常に硬質でバー切削も難しいため、もし装着直後に適合不良が発覚した場合は補綴物を破壊して撤去する覚悟が必要になる(これは本製品に限った話ではなくすべての強接着性レジンセメントに共通するリスクである)。従って装着前の試適チェックを入念にし、問題なくセットできた後は5分程度動揺がないよう指で保持する。患者には30分程度は硬い飲食物を控えるよう伝え、唾液による初期浸潤や強い咬合力が加わらないよう配慮する。適切にセットできれば、その後は研磨済みのレジンセメント表面は耐久性・安定性が高く、口腔内で長期にわたり機能してくれる。

適応するケース・適さないケース

SAルーティング Multiは汎用性の高いセメントだが、万能ではない。適しているケースと注意すべきケースを整理しておこう。

まず適応症としては、十分な形態的保持形態が得られている補綴物全般が挙げられる。具体的には、適切なテーパーで形成されたクラウンやブリッジ支台歯で、接着に大きく頼らなくとも機械的な維持が見込まれる場合に最適だ。このようなケースでは本製品単独で高い接着強さを発揮し、長期安定性も確保しやすい。また、メタルフリー修復にも積極的に使える。ジルコニアクラウンやCAD/CAM冠は従来、表面処理やプライマー選択に悩む素材だったが、本製品はMDPによりこれら金属酸化物系セラミックスへの優れた接着性を発揮する。実際、ジルコニア表面をサンドブラストして本セメントで装着すれば、従来のプライマー併用型に匹敵する接着強度が得られるとの報告もある。さらに、ファイバーポストを用いた支台築造(ポスト装着)にも向いている。根管内でも自己重合で硬化が進行し、ペーストの流動性が高いためポスト周囲に隙間なく充填できる。専用チップで根管底まで送り込める点もポストセメントとして有用だ。また、インレー・アンレーなど部分被覆修復では、辺縁封鎖性に優れるレジンセメントで装着することで二次う蝕リスクを下げられる。本製品のトランスルーセント色を選択すれば、審美的にも修復物の色調を損なわずに装着可能であり、小臼歯部のセラミックインレー等にも適している。

一方、適さないケースや注意が必要なケースとしては、接着力への過度の依存が避けられない症例が挙げられる。例えば残存歯質が極端に少ない支台歯、軟化象牙質上への接着、あるいは補綴物の保持形態が不十分で接着に頼らざるを得ない場合だ。こうしたケースでは、セルフアドヒーシブ型単独ではエナメル質へのエッチング効果が限定的であるため、特にエナメル質面での接着力が従来法より劣る可能性がある。無カリエスのエナメル質が広範囲に残っている場合や、支台歯長が短くテーパーが大きい場合には、前述のようにボンディング剤併用でエナメル質を処理するか、そもそも本製品での装着自体を再考する必要がある。また、ラミネートベニアのように審美性が最重要視される補綴では、本製品のようなデュアルキュア型はごくわずかながら経時的変色リスクがある点に注意したい(自己重合成分に含まれるアミンが長期で変色する可能性があるため)。審美領域では、変色リスクの低い光重合専用のクリアな接着セメントを使う選択も依然有効だ。

さらに、将来的に補綴物の撤去が予想されるケースにも慎重な判断が必要である。たとえばインプラント上部構造をセメント合着する場合、定期的なスクリューのチェックや補綴物のリニューアルを考慮し、一時的・可及的に外せるよう弱い仮着材を使う戦略もある。本製品で強固に合着してしまうと、後日撤去の際に補綴物を破壊するしかなくなるケースも考えられる。インプラント周囲炎予防の観点では、インプラントには敢えて弱いセメントを使う選択も一理あるため、症例ごとに使い分けたい。また、明らかな唾液汚染や出血が制御できない状況下での使用も好ましくない。レジンセメント全般に言えることだが、湿潤下では重合が阻害され接着不良を起こすリスクがある。ラバーダムや排唾管での防湿が困難な深い歯周ポケットを伴う歯には、一時的にグラスアイオノマー系セメントで様子を見ることも選択肢となる。最後に、アレルギーのリスクにも触れておこう。本製品はアクリル系モノマーを含むため、稀ではあるが成分に対するアレルギー(接触皮膚炎等)を起こす患者がいる可能性がある。そのような既往が疑われる患者には使用を避けるか、慎重にモニターしながら進める必要がある。

導入判断の指針

「SAルーティング Multi」がどのような診療方針の歯科医師にフィットするか、いくつかのタイプ別に考えてみよう。自身の診療スタイルと照らし合わせ、導入判断の参考にしていただきたい。

1. 保険診療中心で効率最優先のクリニック

日々多くの患者を回転させる必要がある保険中心のクリニックでは、本製品の時短効果が大きな武器になる。金属冠やCAD/CAM冠の装着において前処理を省略できることは、スタッフの介助手順も簡素化できヒューマンエラーも減るだろう。材料費も1歯あたり数百円と低コストなので、保険収支を圧迫しない。むしろ、脱離リスク低減による再装着の手間削減は忙しい臨床では大きなメリットだ。仮着セメントで様子を見るようなケースでも、本製品を使えば初回から本装着することに抵抗が減り、通院回数の短縮にもつながる。効率を重視しつつ患者満足度も確保したい院長にはうってつけの選択と言える。

2. 高付加価値の自費診療を強化したいクリニック

オールセラミック修復やインプラント補綴など自費が多い医院では、材料選択にも常に最新・最高のものを求める傾向があるだろう。一見、セルフアドヒーシブ型の簡便さは自費診療の「丁寧な仕事」と相容れないようにも思える。しかしSAルーティング Multiは簡便でありながら理論的裏付けのある高性能材料であり、審美修復分野にも適合するスペックを持つ。とりわけ、シラン処理を内包した点はラミネートベニアやE.maxクラウンなどガラス系自費補綴にも応用可能で、プライマー塗布忘れといったミスのリスクを排除できるメリットがある。自費診療においては「確実性」が患者への提供価値となるが、本製品はまさに確実かつ再現性の高い接着を実現するツールだ。ただし、先述のように色調バリエーションが限定的であることや、長期変色リスクの問題から、特定の症例(審美領域の薄い補綴物など)では従来のエッチング+デュアルキュア/光重合セメントを使い分ける懐の深さも必要だろう。総じて、高付加価値診療においては「効率アップによる収益性向上」と「ミス削減による信頼性向上」の両面で貢献すると評価できる。

3. インプラント・口腔外科処置が中心のクリニック

インプラント上部構造の装着や多数歯欠損の補綴を扱うクリニックでも、本製品は頼れる存在だ。特にジルコニアアバットメント+セラミッククラウンといったケースでは、チタンやジルコニアへの接着力が課題となる。本製品はMDPの効果で金属酸化皮膜と強固に結合できるため、インプラントクラウンが簡単に脱離してしまう事態を防ぎやすい。これはメインテナンス間隔の長いインプラント患者にとって大きな安心材料となる。一方で、前述のようにインプラント症例では必要に応じて故意に弱いセメントを選ぶこともあるため、本製品を使う場面とそうでない場面を見極める判断力が求められる。また、口腔外科系では術後の知覚過敏ケアや一時的な仮封材としてレジンセメントを利用することもあるが、本製品は接着性が高いため仮封には不向きである。あくまで永久接着用と割り切って使用すべきだ。総じて、インプラント・外科中心の歯科医師にとっては、「外れない安心感」と「残留セメント確認の容易さ」で貢献するセメントと言える。

4. 開業準備中・若手歯科医師

これから開業を控える歯科医師にとって、どの材料を基本ラインナップに加えるかは頭を悩ませる問題だ。SAルーティング Multiは、前述のように一本で様々なケースに対応できるオールマイティさを持つため、開業当初の「まず何を揃えるか」という悩みを軽減してくれる。金属からセラミックまで対応できるので、開業医にありがちな「材料の使い分けミス」も起こりにくい。新人スタッフに教える場合も、手順がシンプルなためマニュアル化しやすく教育コストが低い。また、予め前処理が不要と謳われていることで心理的安心感がある。若手歯科医師の中には接着操作に苦手意識を持つ者もいるが、本製品であれば「とりあえずこれで着ければ外れない」という安心感のある標準アイテムとして活躍するだろう。ただし、万能とはいえ適応外症例もあることは本稿で述べた通りであり、ケースに応じた判断力は磨いていく必要がある。開業準備段階で本製品のデモや講習に参加し、特性を理解しておくことは新人院長にとって有用な自己投資となる。

よくある質問(FAQ)

Q. SAルーティングとパナビアでは何が違うのか?

A. いずれもクラレノリタケデンタルの接着用レジンセメントブランドであるが、指している製品カテゴリーが異なる。一般に「パナビア」と言う場合、前処理(プライマーやボンディング)を併用する高接着型のセメント(例:パナビア V5や従来のパナビアF2.0)を指すことが多い。これに対しSAルーティングシリーズはセルフアドヒーシブ型(プライマー不要型)のセメントを指す。例えばパナビア V5はエナメル質・象牙質に専用プライマーを塗布して使うためエッチング効果が高く、特にエナメル質接着ではSAルーティングより高いせん断接着強さを示す。しかしその分、工程が煩雑でテクニックセンシティブでもある。一方SAルーティングは工程を簡略化でき、装着時間の短縮やミス低減につながる。接着性能単独で見ればパナビアの方が優れる場面もあるが、臨床上許容できる接着力をより簡便に再現できるのがSAルーティングの強みである。なお、現行のSAルーティング Multiはパナビアブランドには属さない名称だが、海外市場では「Panavia SA Cement Universal」の名称で展開されており、事実上パナビアシリーズのセルフアドヒーシブ版と言える位置付けである。

Q. シラン処理なしで本当にセラミックやレジンに接着できるのか?

A. はい、本製品はシランカップリング剤をペースト内に含有しているため、ガラスやレジン系材料にも追加処理なしで接着可能である。実験データ上も、リチウムジシリケートガラスセラミックスに対する接着強さは、別途シラン処理を行った従来品と同等レベルを示している。ただし、臨床的にはセラミックス表面のエッチング処理(フッ化水素酸処理)は推奨される。シランを含むとはいえ、表面を荒らす処理まで自動でできるわけではないため、グレーズ面を除去し適切にエッチングした上で本セメントを適用すれば、機械的嵌合と化学結合の双方でより確実な接着が得られる。なおジルコニアなどガラスを含まない材料にはエッチングは無効なので、サンドブラスト清掃程度に留め、本製品をそのまま適用して問題ない。

Q. 操作時間や硬化時間はどのくらいか?途中で固まったりしないか?

A. 遮光状態・室温(約23℃)での操作余裕時間は、ハンドミックスで約2分間、オートミックスで約1分間である。口腔内は温度が高く光も当たる環境なので、実質的な余裕時間はさらに短くなる。したがって、練和後は速やかに補綴物を装着し加圧する必要がある。途中で固まり始めてしまうと完全適合が得られなくなるため、一度で所定位置まで一気に押し込むことが肝要だ。硬化は光を当てれば数秒で初期硬化が始まり、化学重合のみでもセット後5分程度で概ね完了する。患者さんには念のため10分程度経つまでは硬い物を噛まないよう説明すると安心だ。なお、ユニットの照明光でも多少硬化が進む可能性があるため、練和時~装着前はできるだけ光源を避けて操作することが望ましい。

Q. 色調は選べるのか?どの色をどんな症例に使えば良いか?

A. はい、ユニバーサル、ホワイト、トランスルーセントの3色から選択できる。ユニバーサルはシェードガイドのA2程度に相当する自然な象牙質色で、迷った場合はまずこの色を選べば間違いない汎用色である。ホワイトは不透明度が高く視認性に優れる白色で、薄い補綴物でも下地の色を隠したい場合や、除去の際にセメントと歯質の境目を明確にしたい場合に適している。例えばメタルポストやテトリスポストをセメントする際にホワイトを使うと、後で歯質との境界が判別しやすい。トランスルーセントは高い透明度を持つため、セラミックの審美性を活かしたいケースに有用だ。例えばオールセラミッククラウンやラミネートベニアなど、補綴物自体の色調や透光性を損ねたくない場合にトランスルーセントを選ぶと良い。ただしトランスルーセントは光透過性が高いため、奥歯の厚みのある修復では十分な光照射ができるよう注意すること。

Q. 保管方法や使用期限について教えてほしい。

A. 直射日光を避けた室温保管が基本である。高温になる場所や直射日光の当たる場所では劣化が早まる可能性があるため避けること。夏場など気温が高い時期は冷蔵庫で保管すると品質が安定するが、その場合は使用直前に室温に戻してから練和する(冷えたままだと結露による水分混入のおそれがある)。開封後も適切に保管すれば製品表示の使用期限までは品質を保つ。一般的な使用期限は製造後2〜3年程度だが、ロットごとに異なるため外箱やシリンジに記載の期限を確認してほしい。期限切れの製品は重合不良などのリスクがあるため使用しない。また、オートミックスの場合は使用後にチップを外さず付けたまま保存すると、シリンジ先端でペーストが固まって栓の役割を果たし、次回使用時まで内容物を安定させられる。ただし次に使う際は先端部の固まった部分を除去するために、新しいチップに交換してから吐出すること。適切な保管と管理を行えば、最後まで安定した性能で使い切ることができる。