
歯科用セメントの種類まとめ!仮着・合着セメントにはどのような種類がある?
ある日の臨床で、補綴物の装着にまつわる悩みに直面することがある。例えば、セット直前に仮歯が外れてしまい患者をお待たせしたり、逆に仮歯を外そうとしてもセメントが強固で難渋した経験はないだろうか。補綴物の維持力や脱離リスクに頭を悩ませるたび、「セメントの選択を誤ったのでは」と自問することになる。また、クラウン装着後に生じる歯の痛みや補綴物の再接着も、セメント選択と扱いに起因する場合がある。
本記事では、仮着用セメント(一時的に装着するセメント)と合着用セメント(最終的に装着するセメント)の代表的な種類と特徴を整理し、それぞれの臨床的な適応・操作上の留意点から医院経営への影響までを解説する。臨床の確実性向上と、無駄のない材料運用による経営効率化の双方に資する視点を提供することを目指す。
要点の早見表
以下に仮着用セメントと最終合着用セメントの代表的種類と主な特徴をまとめる。仮着用セメントは仮歯やプロビジョナルの固定に用いられ、一定の保持力と容易な除去性という相反する特性が求められる。一方、最終合着用セメントは補綴物を長期間安定して維持する強度と密封性が求められる。材質ごとの特長を把握し、症例に応じて適切に使い分けることが重要である。
仮着用セメント(Temporary Cement)種類と特徴
種類 | 主な用途・適応 | 特徴(利点と留意点) |
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酸化亜鉛ユージノール系(ZOE系仮着材) | 仮歯・プロビジョナルの一時固定(短期間) | 鎮痛・消炎作用があり歯髄保護に有用。一方で接着力は弱く脆性で長期固定には不向き。さらに樹脂材料の重合を阻害するため最終接着にレジン系セメントを予定する症例では不適。 |
非ユージノール系 仮着材 | 仮歯の一時固定(レジン系最終セメント使用症例など) | ユージノールを含まず樹脂系接着への悪影響がない仮着材。刺激臭が少なく患者不快感も軽減。接着力は穏やかで除去しやすく、レジンセメントとの親和性も高い。ただし油分を成分に含む場合があり、仮着後は適切な清掃が必要とされる。 |
カルボキシレート系 仮着材(ポリカルボン酸系) | 長期間の仮歯装着や脱落しやすい仮歯の固定 | ポリカルボン酸亜鉛セメント(一般的な製品例:ハイボンド テンポラリーセメント(ハード))を用いる硬質仮着材。歯質への化学的接着性があり仮着としては高い保持力を発揮。3週間程度の長期使用に耐え、仮歯の脱離リスクを低減できる。一方で硬化後の強度が高いため除去時に補綴物や支台歯へストレスがかかる可能性があり、最終装着時に慎重な取り外し操作を要する。 |
レジン系仮着材 (レジン仮固定用) | 長期仮歯やインプラント仮歯の装着、一時的な長期固定 | レジンを主成分とする仮着用接着材で、仮着材中最高の保持力を持つ。長期の仮歯装着や、インプラント上部構造の仮固定(将来的な撤去を見越す場合)に用いられる。耐久性が高く咬合力が強い部位でも外れにくい反面、除去が困難になりやすい点に留意。必要に応じてセメント塗布範囲を限定したり隔壁材を塗布するなど、除去性を確保する工夫が求められる。 |
最終合着用セメント(Permanent Luting Cement)種類と特徴
種類 | 主な用途・適応 | 特徴(利点と留意点) |
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リン酸亜鉛セメント | 金属冠・インレーの合着(古典的手法)※現在は主に無髄歯で使用 | 最も歴史のある信頼性高いセメントであり、高い圧縮強度と長期安定性を示す。一時的に強い酸性を呈し歯髄刺激があるため失活歯(無髄歯)での使用が中心。歯と補綴物との固定様式は機械的嵌合であり、接着性は持たない。操作には練和温度管理や適切な粉液比調整が必要。現在では後述の他セメントに置き換わりつつある。 |
ポリカルボキシレートセメント (ポリカルボン酸亜鉛セメント) | 金属冠・インレーの合着(現在は使用頻度少) | 1960年代に登場したセメントで、歯質中のカルシウムと化学結合を形成する初の接着性セメント。リン酸亜鉛より歯髄刺激が少なく生体親和的。操作時間が短くやや粘調性が高い特徴があり、硬化後は剥離しにくい。一方、経年的に強度や接着力が劣るため現在の臨床使用は少ない。補綴物の一時固定(長期仮着)用途にも応用される場合がある。 |
グラスアイオノマーセメント (GIC) | 金属冠・インレー、保険CAD/CAM冠の合着 ファイバーコアの装着など | 世界的に最も多く使用されている合着用セメントである。ガラスとポリアクリル酸の反応により硬化し、歯質と化学的に接着する特性を持つ。またフッ素徐放性がありう蝕リスクの高い症例にも有益。操作も比較的容易で生体親和性も高い。欠点は硬化初期の水分に対する感受性で、唾液や乾燥に弱いため術後の保護(バーニッシュ塗布等)が望ましい点である。また強度はレジンセメントほど高くないため、辺縁形態が薄いセラミックス修復や極端に保持形態の乏しい補綴には単独では不十分な場合がある。 |
レジン強化型グラスアイオノマーセメント (RMGI) | 金属冠・インレー、クラウン全般(陶材系は注意) ※ジルコニアにも適用可 | 従来型GICにレジンモノマーを添加し硬化強度を高めたセメント。化学重合に加え光照射併用によりデュアルキュア硬化する製品が多く、操作時間に融通が利く。余剰セメントの除去が容易になるようタックキュア(短時間光照射)も可能な製品があり、操作性に優れる。歯質接着性とフッ素徐放性を持ち、日常臨床で汎用される。ただし厳密な意味では接着より合着に分類されるセメントであり、接着力はレジンセメントに劣る。また硬化時のわずかな膨張が報告されており、オールセラミックインレー・ベニアなど脆性材料の薄い補綴物には使用を避ける配慮もある(製品の指示に従うこと)。 |
レジンセメント(接着性レジンセメント) | オールセラミッククラウン、ポーセレンラミネートベニア 短い支台歯のクラウン、メタルボンド修復の維持強化など | 主成分がレジン樹脂で極めて高い接着力を発揮するセメント。歯面や補綴物表面に前処理(ボンディングやプライマー)を施すタイプと、セメント自体に接着性モノマーを含み前処理を簡略化したセルフアドヒーシブタイプが存在する。適切に使用すれば象牙質やエナメル質との強固な一体化が可能で、保持形態の乏しい支台やセラミック修復物の強度補完に有用。審美修復では欠かせない材料である。一方で術式が複雑で扱いを誤ると逆に維持力低下を招くリスクがある。防湿やエッチングなど術中条件の管理に繊細さを要し、手技の煩雑さ・材料費用ともに他のセメントより高コストである。それでも近年はCAD/CAM冠やファイバー支台築造の保険収載に伴い保険診療でもレジンセメントの使用機会が増えている(詳細後述)。 |
理解を深めるための軸
セメント選択を考える上で、臨床的な要求と経営的な視点という二つの軸から整理すると分かりやすい。臨床面では「どの材料が最も確実に補綴物を長期間維持し、患者にとって快適か」が主眼となる。一方、経営面では「材料コストや在庫管理、オペレーション効率への影響」を無視できない。
近年は補綴物の材質が多様化し、保険・自費を問わずメタルやセラミックスなど様々なケースが増えたため、補綴物の種類ごとに最適なセメントを選択する時代になっている。その結果、医院で使うセメントの種類が増えすぎると、材料コストの増加、在庫管理の煩雑化、製品ごとの操作法習熟などスタッフ負担増大によるヒューマンエラーにつながりかねない。
臨床的要求を優先すれば、症例ごとに理想的なセメントを細かく使い分けるのが望ましい。しかし経営的には、種類を絞り汎用性の高いセメントに集約することでコスト低減とスタッフ習熟の効率化が得られるメリットも大きい。この両軸のバランスを取るための戦略として、例えば「汎用性の高い接着性レジンセメント」を主軸に据え、どうしても防湿困難なケースや余剰セメント除去が難しいケースでは「操作性に優れるRMGI」を補助的に使うといった運用も考えられる。
実際、そのようにセメントを整理することで院内のセメント種類を大幅に減らし、扱いを標準化して成功率と効率を高めた報告もある。各医院は、自院の症例構成やスタッフ技術レベルに合わせて、臨床上のリスク低減と経営上の効率を両立できるセメント戦略を構築する必要がある。
代表的な適応と禁忌の整理
ここでは仮着用セメントと最終合着用セメントについて、代表的な適応症と使用上の注意点(禁忌となり得るケース)を整理する。
【仮着用セメントの適応と禁忌】
仮着材は術後に容易に補綴物を撤去できることが前提であるため、強固すぎない接着力が求められる。ただし適応によっては一定の保持力も必要となる。ユージノール系仮着材は、鎮痛効果から根管治療中の仮封などにも使われるが、最終接着にレジンを用いる場合は禁忌である(レジンセメント硬化を妨げ接着不良を招くため)。この場合は非ユージノール系に切り替える必要がある。
またユージノール系は脆いため長期の仮留めには不向きであり、2週間以上の装着を要する仮歯にはカルボキシレート系の硬質仮着材が適する。カルボキシレート系は保持力が高いため短期間で外す前提の仮歯には過剰となり得る。レジン系仮着材は長期仮歯や耐久性が求められる場合に有効だが、外れにくさゆえ最終補綴物への置換時に撤去困難となるリスクがある。特に弱い力でしか抜去できないような支台歯(例えば細いインプラントアバットメント上の仮歯)に用いる際は、除去方法(超音波振動の併用など)も考慮した対応が必要である。
【最終合着用セメントの適応と禁忌】
補綴物の材質や支台歯の状態によって、適するセメントと避けるべきセメントがある。金属冠や金属インレーでは伝統的にリン酸亜鉛やGICが用いられてきた。リン酸亜鉛セメントは無髄歯ならば依然有効だが、有髄歯では硬化時の酸性による疼痛や長期的な歯髄影響の懸念があるため避けるのが無難である。
また維持形態が不十分な支台歯ではリン酸亜鉛では保持が得られず脱離の危険が高いため、接着性のあるセメントに変更すべきである。ポリカルボキシレートセメントは一部の接着性を持つものの接着力は限定的で、現在の臨床では優先されない。グラスアイオノマーセメント(GIC)はほとんどの保険補綴に適応でき、術式も簡便である。ただし全部陶材の修復物(オールセラミックインレーやラミネートべニア等)には適応外である。
理由はセメントの曲げ強さが不足し接着補強効果がないこと、また材料によっては硬化時膨張や吸水による応力でセラミックを破損しうるためである。セラミック系やレジン系の審美補綴には原則としてレジンセメントを用いることが推奨される(e.g. 二ケイ酸リチウムガラスセラミックス製のインレーはレジンセメントで装着後に咬合調整すべきとの報告)。
特に接着力が補綴物の安定に直結するポーセレンラミネートベニア、ファイバー固定床、接着ブリッジなどはレジンセメント以外は適さない。一方でジルコニアやアルミナセラミックスは化学的接着性が低い材料であり、支台歯形成に十分な保持が確保されている場合はRMGIなどでも臨床的成功が報告されている。ただし支台歯が短小であったり、咬合力が強く補綴物の破折リスクを減らしたい場合には、サンドブラスト処理とレジンセメントによる接着が推奨される。要するに、補綴物の材質・形態と支台歯条件に応じてセメントの適不適を見極める必要がある。汎用性のみで画一的に選ぶのではなく、症例ごとに禁忌に留意した材料選択が長期予後の鍵となる。
標準的なワークフローと品質確保の要点
セメント装着の手順は種類によって異なるが、いずれも適切な前処理、練和、除去タイミングを守ることで予後の良い結果に直結する。まず仮着のワークフローでは、仮歯の適合と咬合を調整した後、仮着用セメントを少量だけ内部面に塗布し装着する。
塗布量は必要最小限とし、圧接後に溢れ出た余剰セメントは完全硬化前に除去する。特に硬化が早いカルボキシレート系やレジン系仮着材では、1~2分以内に余剰除去を行わないと硬化後の清掃が困難となる。仮歯装着後は咬合を再確認し、患者には仮歯が外れた際の対処法を説明する(後述)。
一方、最終補綴物の合着ではセメント種ごとに細かなプロトコルの違いがある。グラスアイオノマー系では粉液混和型の場合、計量と練和時間を守り(練和時間の延長は物性低下を招く)、気泡の混入を避けることが重要である。ペーストタイプのRMGIであれば自動練和タイプもあり、安定した練和品質が得られる利点がある。
補綴物の内面処理は原則不要だが、合着前に支台歯と補綴物内面を十分清掃・乾燥(過度乾燥は不要だが汚染は除去)することでセメントの密着性が高まる。装着後、RMGIでは光照射を数秒与えることでゲル状硬化(タックキュア)させ、余剰セメントを一塊で除去できる製品が多い。完全硬化前に除去すれば歯肉縁下への残留も防ぎやすい。その後は指示された時間・方法で最終硬化させる。GICの場合は硬化直後に縁を保湿または保護材で覆い、乾燥や唾液による劣化を防ぐ処置が望ましい。
レジンセメントのワークフローは最も複雑である。エッチング・ボンディングを要するタイプでは、支台歯象牙質へのエッチング(過度に長時間としない)、十分な水洗・軽く乾燥、プライマー塗布・エアーブローといった歯面処理手順を正確に踏む必要がある。また補綴物側も、陶材ならばフッ化水素酸エッチングとシランカップリング、ジルコニアや金属ならサンドブラストとメタルプライマー処理など、接着システム全体の処理を適合させることが重要である。
セルフアドヒーシブタイプであっても、象牙質や補綴物表面の清掃と乾燥は十分に行い、必要に応じてプライマー併用が推奨される場合もある。練和はメーカー指定の方法(手調剤か自動ミキサーか)に従い、気泡なく均一に混和する。支台歯および補綴物内面の両方にセメントを塗布し、ゆっくりと補綴物を適合させ余剰を圧出させる。位置決め後は直ちに圧接を維持し、初期硬化まで動かさない。余剰セメントの除去タイミングは製品により異なるが、一般にラバージン状態(半硬化状態)での除去が望ましい。光重合型またはデュアルキュア型の場合、仮固定後に各辺から十分な光照射を行う。レジン成分を完全に重合させるには照射器の光強度・照射時間が極めて重要であり、不十分だと深部が硬化しない恐れがある。
近年の高出力ライトでは一部だけ急速硬化して内部が未硬化となる現象も報告されており、メーカーの推奨に沿った照射条件を守る必要がある。最終硬化後、咬合調整と研磨を行い終了となるが、特に硬化したレジンセメントの除去残渣がないかX線撮影などで確認することが望ましい。以上のようにステップ数は多いが、その分しっかりと手順を踏めば高い臨床成績が得られる。
安全管理と説明の実務
セメント操作における安全管理は、患者への影響と術後トラブルの双方を見据える必要がある。まず患者への直接の安全配慮として、仮着期間中の過ごし方について十分な説明を行うことが重要である。仮歯を仮着した患者には、「これは一時的な接着なので強い力がかかると外れる可能性がある」ことを伝え、ガムや粘着性の食品は避けるよう指導する。
万一外れてしまった場合は自宅で無理に戻そうとしないこと、紛失しないよう保管して早めに来院するよう説明する。逆に「強い接着剤で仮歯を固定しているわけではない」ことも理解してもらい、仮歯が取れやすいこと自体は一時的措置として正常である旨を伝える。特にユージノール系仮着材は独特の匂いと味があるため、不快に感じる患者には非ユージノール系への変更も検討する(実際、非ユージノール系の新製品は臭いの少なさが利点とされる)。
最終補綴物装着後の安全管理では、余剰セメントの除去残しによる歯肉炎や二次う蝕のリスクに注意する。歯肉縁下に取り残された硬化セメント片はプラークの付着や炎症の原因となるため、ミラーと探針で入念に確認し、必要に応じてフロスや超音波スケーラーで除去する。レジンセメントはX線不透過性の高い製品を選べば、術後のX線チェックで残留の有無を判断しやすい。
またインプラント上部構造をセメント合着する場合、余剰セメントが周囲炎の誘因となり得るため特に慎重な除去が求められる。仮に将来的な撤去を見据えて弱めのセメントを使う選択(仮着剤での装着)をする場合でも、周囲へのセメント残留は生じうるので同様である。
患者への説明責任という観点では、補綴物装着時に用いるセメントの種類を患者に積極的に開示し、必要ならその理由を説明することも信頼醸成につながる。例えば自費診療で高価なオールセラミッククラウンを提供する際には、「より長持ちさせるために強力な接着性のセメントを用いて装着します」と説明し、処置後も飲食の開始タイミング(接着性レジンなら光でほぼ硬化するが、念のため30分程度は硬い物を避けるなど)を指導すると良い。
また術後に一過性の疼痛が出る可能性がある場合(ごくまれにリン酸亜鉛セメントや過度のエッチングに起因する知覚過敏が生じることがある)、事前にその旨を伝えておくとトラブル予防になる。さらに、複数歯の補綴を一度に装着するケースでは、どのセメントで装着したかを診療録に明確に残し、次回補綴交換時に参考にできるよう管理することも安全対策の一環である。
費用と収益構造の考え方
セメント選択は医院の収益構造にも影響を及ぼす。材料費として見ると、従来型セメント(リン酸亜鉛やGIC)は安価である一方、レジンセメントは1歯あたり数百円以上のコストがかかることが多い。しかし保険診療におけるセメントの算定点数は低く抑えられており、例えば接着性レジンセメントは装着1件につき17点(1点=10円換算で約170円)程度の加算に過ぎず、材料実費を賄いきれない場合もある。一方、グラスアイオノマー系は12~14点程度の評価であり、ほぼ全ての保険クラウン・インレーで算定可能だが、これも材料費と手間を考えると十分とは言い難い。
結局、保険診療では高価なセメントを使うほど診療報酬上は不利になる構造が存在する。とはいえ、臨床上必要性が高いケースで接着性セメントを避けてトラブルが起きれば、再治療の無償対応や患者離れといった形で医院経営にマイナスとなる。短期的な材料費節減が長期的な損失を招かないよう, 治療リスクと費用のバランスを考慮する必要がある。
自費診療に目を向ければ、セメントは補綴物価格に内包される形で提供されるため直接の収入増にはつながらない。しかし質の高い材料を使用すること自体が医院の品質評価に繋がる面がある。例えば「当院では全てのセラミック修復において高性能レジンセメントを用いて接着しています」といった説明は広告では謳えないものの、患者個別のコンサルテーションで丁寧に伝えることで信頼を高めリファラルにもつながるだろう。
経営視点では、在庫管理と有効活用も重要だ。セメント類は開封後の使用期限が限られる製品も多く、使い切れず廃棄すればそのまま損失である。種類を増やしすぎず、月間・年間の症例数に見合った適量発注を心がけることが経営健全化につながる。また、自院でほとんど扱わない素材用の特殊なセメント(例:ラミネート用の審美色レジンセメントなど)は、必要症例だけ外注技工士から提供を受けるケースや、他院と分け合うといった工夫で無駄を省くこともできる。
人件費面では、複雑なセメント操作は術者やスタッフのチェアタイムを延長させる可能性がある。1症例あたり数分の差でも、積み重なれば診療効率に響く。例えばレジンセメントにより装着時間が従来より5分延びるなら、1日あたり何件まで許容できるかといったシミュレーションも経営判断の材料となる。逆に、もしセメントの選択ミスで補綴物脱離・再装着が発生すれば、追加のチェアタイム消費と患者再来による機会損失が生じる。適切なセメント選択は中長期的に見れば医院収益を守るリスクマネジメントであるとも言える。
よくある失敗と回避策
セメントにまつわるトラブル事例から学ぶことも多い。以下に典型的な失敗パターンとその回避策を紹介する。
【仮歯が外れやすい】
仮着後に何度も仮歯脱離が生じる場合、原因の多くはセメントの選択ミスか操作不備である。保持形態が不十分な支台にユージノール系のような弱いセメントを使えば外れやすくなるし、逆に適合の悪い仮歯ではどんなセメントでも外れる。回避策として、支台歯や仮歯の状態に応じてより保持力の高い仮着材(カルボキシレート系やレジン系)に切り替える、あるいは仮歯内面を調整して適合を改善することが挙げられる。また仮着時に咬合調整を怠ると咬合力で外れやすくなるため、装着後の細かな咬合確認も重要である。
【仮歯が外れない】
仮歯撤去の段階で仮着セメントが強固に付きすぎて外せないこともある。特にカルボキシレート系やレジン系仮着材を良好な保持形態の支台に使った場合に起こりやすい。無理に外そうとすると支台歯を傷つけたり仮歯が破損する恐れがある。予防策として、長期仮歯でも最終除去を見据えるなら過剰な接着力を発揮しない工夫をすること。例えば仮歯内面の一部にワセリンを塗布して接着面積を減らす、硬化前に一度仮歯を着脱してセメント膜を薄くする、といったテクニックがある。それでも外れにくい場合は、超音波振動や仮歯を一部切開するなどの方法で安全に除去するしかない。次回以降はセメント選択を見直し、必要以上に強い仮着材を使わないことが肝要である。
【最終補綴物の早期脱離】
クラウンやインレーが装着後まもなく脱離する失敗も少なくない。原因として多いのは、セメントの選択不適か術中の手技ミスである。例えば短い歯にグラスアイオノマーを用いたため保持力が足りなかった、あるいはレジンセメントを使ったが唾液汚染で接着不良を起こした、等である。前者の場合は最初から接着性レジンセメントを選択すべきであったし、後者の場合は防湿や歯面処理の徹底が必要だった。再装着時には、脱離した補綴物内面と支台歯側をしっかり清掃し(特に仮着材の残存や油分を除去する)、改めて適切なセメントで装着し直す。予防のためには、補綴設計段階で保持形態が不足するケースを見抜き、レジンセメントを選択する判断力が重要である。また接着操作中はラバーダムや口腔内隔壁で唾液を排除し、プライマーの扱い時間を守るなど基本を徹底することで防げる脱離も多い。
【装着後の歯髄痛や知覚過敏】
補綴物装着後に歯がしみる、痛むといった症状が出る場合、セメント由来の刺激が考えられる。リン酸亜鉛セメントの酸刺激や、深い象牙質までエッチングした場合の知覚過敏、あるいはレジンセメント硬化収縮による微小な隙間からの刺激などが原因となりうる。これを避けるには、深い窩洞では事前に裏層処置(ベース材敷設)を行うこと、リン酸亜鉛は使わずRMGIなど穏和な材料を選ぶこと、ボンディング時に過度に乾燥させない(コラーゲンのマトリックス崩壊を防ぐ)ことなどが有効である。もし術後痛が出ても、一過性なら経過観察とし、症状が長引く場合は補綴物を外しての再処置も検討する。いずれにせよ、患者の訴えを軽視せず原因を突き止める姿勢が信頼関係維持には欠かせない。
【セメントの操作ミス】
セメントの練和・適用における人的ミスもトラブルの一因となる。多いのは計量・練和比のミス(粉液タイプで粉を一度に入れすぎたり、練和不十分でムラが生じる)、混和時間のミス(必要以上に練りすぎて操作時間をロスするか、逆に不十分で反応が均一でない)などである。これらはメーカーの取扱説明書に忠実に従えば防げる問題で、スタッフ教育で改善できる。また接着性レジンでは、プライマーを塗り忘れたり、A剤B剤を取り違えるといったヒューマンエラーが起きやすい。複数種類のセメントを運用していると、スタッフ間で手順の混同が起こりやすいため、院内マニュアルで使用手順を図解して共有する、主要製品に関してはメーカー担当者による勉強会や実習を行うなどしてミスを防止する。特に新人スタッフには、模型を用いたセメント練和・充填のトレーニングを積ませてから本番症例を任せると良い。
【在庫切れ・期限切れ】
必要なときにセメントが見当たらず慌てる、あるいは開封後放置され劣化していた、といった管理ミスもありがちだ。レジンセメントの一部は冷蔵保存が推奨されるため保管場所が分散し、気付かれず期限切れになることもある。定期的に在庫チェックを行い、有効期限を管理して、古いものから使う(FIFO管理)よう徹底する。在庫数も、月の使用量をモニターして適正在庫を維持すれば切らす心配が減る。万一予定症例に必要なセメントが切れそうな場合、事前に分かっていればディーラー等から取り寄せるか、他院との融通を図ることも可能である。材料管理の徹底は経営上のロスを減らすだけでなく、臨床の質保証にも直結する。
導入判断のロードマップ
新たなセメントの導入や運用設計を検討する際には、いくつかのステップで判断すると確実である。
①自院の症例傾向を分析すること。
補綴物の種類(メタル、CAD/CAMレジン冠、オールセラミック、インプラント上部など)と件数を洗い出し、それぞれに現状どのセメントを使っているか一覧化する。この中で、現行のセメントでは対応が難しい症例や、逆に現在使っていないセメントが必要になりそうな症例がないかを検討する。例えばオールセラミックの割合が増えてきたのに接着用セメントを常備していない場合、導入の必要性は高い。またCAD/CAM冠など新しい保険補綴には接着性レジンセメントの使用が推奨されるため、保険診療内であってもその対応力が求められる。
②課題の特定である。
過去1年の補綴脱離や再装着の発生状況、仮歯脱離の頻度、装着時のトラブル記録などを振り返り、セメントに起因しそうな問題が繰り返していないか確認する。例えば「クラウンの脱離が年に数件ある」「仮歯が取れやすい患者がいる」といった場合、それはセメント変更で改善できるかもしれない。逆に大きな問題が起きていないなら、あえて新規材料を導入せず現行体制を磨く選択もある。
③情報収集と製品比較を行う。
各種セメントのメーカー資料や学術論文に目を通し、接着強さや操作性、適応範囲、必要機材、コストを調べる。信頼性の高いメーカーの製品では臨床試験データも公表されているので参考になる。例えば接着性レジンセメントでも、セルフアドヒーシブ型は簡便だが前処理型より接着力がやや劣る傾向が報告されている。自院の求める性能(と許容する手間)に見合った製品はどれかを絞り込む。
④試用と評価である。
新セメントを導入する前に、メーカーやディーラーに問い合わせてサンプル提供やデモを依頼すると良い。モデル上で硬化時間や操作感を確かめたり、実際に抜去歯や模型に補綴物を合着してみて余剰除去のしやすさを体験する。また可能であればスタッフ全員で練習し、取り扱いに問題がないか確認する。小規模な導入から始め、まずは少数の症例で使用し臨床評価するのも安全策である。患者フォローアップ時に脱離や不具合がないかチェックし、問題なければ本格導入に踏み切る。
⑤経営面での採算も判断に入れる。
新セメント導入には在庫購入費やトレーニングコストが発生する。保険診療であれば材料費増を吸収できるか、あるいは自費診療ではその価値を価格に見合ったものとして提供できるかを検討する。ROI(投資対効果)の考え方だが、ことセメントに関しては直接の収益よりも将来的な再治療リスク低減や患者満足度向上といった効果に注目すべきである。脱離が減れば補綴保証期間内の無償修理が減るため、長期的には損失防止につながるという具合である。また導入する際は古いセメントの在庫処分(適切に廃棄または返却)や、院内プロトコル文書の更新も忘れず行う。
以上のステップを踏めば、闇雲に流行の材料に飛びつくことなく、自院に最適なセメント戦略を構築できるだろう。
出典(最終確認日:2025年9月)
1.GC (ジーシー) 「歯科材料ハンドブック2018 第3章 セメント」 – グラスアイオノマーセメント、リン酸亜鉛セメント、レジンセメント、酸化亜鉛ユージノールセメント等の定義と特徴
2.関 豊成 「日常臨床におけるセメントの使い分け」『GCインダストリアルレポート No.184』(2023年) – 接着用レジンセメントと合着用セメントの利点・欠点、保険導入材料増加による経費・ヒューマンエラーの指摘
3.日本歯科材料学会 「歯科用セメントの種類と臨床ポイント」(須崎 明、『歯科技工』2016年) – 保険診療における装着材料の算定(リン酸亜鉛4点、GIC12点、レジンセメント17点 等)およびレジンセメント硬化に関する留意点
4.森田デンタルプラザ 「非ユージノール系仮着材『カチャックス』を使用した補綴治療」 デンタルマガジンNo.167 (2021年) – 仮着用セメントの種類分類と特性、仮着後の処置や新製品の特徴に関する報告。
5.松風 「ハイボンド テンポラリーセメント(ハード)製品情報」 – カルボキシレート系仮着材の用途(長期仮着・仮封に適する硬質セメント、3週間程度の使用)。
6.東京歯科保険医協会 「CAD/CAMインレー装着材料の算定について」 会報Q&A (2020年) – CAD/CAM冠やインレーの装着には接着性レジンセメント(17点)を用いることや、表面処理の必要性に言及。
7.Hasetsu-Chiryo.com 「プラスチックの歯科材料」 (2023年) – RMGIは審美性が劣るため前歯部に不向き等の一般的知見、および陶材修復ではレジンセメントが推奨される旨の説明。